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子供たちの遊び場所

町々に子供がいっぱいだった頃。どこの町にもみんなが集まって遊ぶ場所が自然にできていた。女の子はパンツ丸出しでゴム跳び、男子はチャンバラと・・・・

投稿者:へっこきむしさん 登録日:2012-05-27

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子供たちの遊び場所に関する地図(1件)

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元さん
表町3丁目の今の駐車場当たりだと思うけれど「ジャングル」と読んでいた草ぼうぼうの空き地でよく遊んだものだ。例によって秘密の基地なんぞを作った。
小学校の高学年になったら市の雪祭りとかで雪像作りの会場になった。龍宮城から帰る浦島太郎の雪像だったが担任の先生が十日町出身だったせいか、素晴らしい出来栄えだった。
元さん
表町3丁目の今の駐車場当たりだと思うけれど「ジャングル」と読んでいた草ぼうぼうの空き地でよく遊んだものだ。例によって秘密の基地なんぞを作った。
小学校の高学年になったら市の雪祭りとかで雪像作りの会場になった。龍宮城から帰る浦島太郎の雪像だったが担任の先生が十日町出身だったせいか、素晴らしい出来栄えだった。
さるとびさすけさん
公園も遊具も何一つなかったが子供はどこにでも遊びを見つけてた。空き地の原っぱや路地裏やいろんなところで遊んでたな。原っぱで靴べらを投げるとブーメランのように戻ってくる遊び、草むらでバッタを獲った。お医者さんごっこは残念ながらなし。ままごとにちょこっと入れてもらった。冬は家の前で雪の「要塞」を作って雪合戦。貧乏だからすべて凹凸のある自然構造(舗装道路やコンクリ建物ではないから)なので風や水が抜けて行き虫や植物など「いのち」が存在していてこれに触れることができた。大人たちも子供の遊びは大目に見ていてくれてたな。よそ様の敷地で遊んでても怒られなかった。
今のようにピカピカの物を何でも与えられる環境が人間にとって幸せなことなのか。 
とまんとさん
稲荷神社の境内。周辺にポプラやイチョウの木があってよくのぼってたな。ポプラの枝でチャンバラ。枝の皮をむいて乾かしつるつるに磨いて剣にした。道路でやっこい球の野球。あの頃はコウモリが夕空に一杯飛んでた。遊びも流行があった。パッチン、ビー玉、コマ、ゴム銃(割り箸と輪ゴムで作る)、豆鉄砲(竹製で、あお桐の実を採って弾にした)みんなのをまねして自分たちが作った。犬もよくいたね。今は見ないスピッツはよく吠えた。野良犬も多かった。
中之島さん
何といっても太子堂でのやっこいボール使っての野球でしょうか。たまにせきようでコロッケ買ってね。
おおてまんじゅうさん
遊び場ねえ。道路、横町の細道、隣近所の空き地、お屋敷の庭、お寺や神社の境内、当時の大人たちはうるさいことは言わず、暖かく見守っていてくれたんだね。野良犬達も一緒になって遊んでいた。紙芝居は懐かしい。紙芝居屋さんのお菓子が不潔だといって母はおカネをくれなかった。お菓子を買えない私は、お菓子をなめている子供たちから一人離れ、遠くから指をくわえて紙芝居を見ていたっけ。雨の日は紙芝居屋さんが近所の医院の玄関で商売していたこともあった。今と違いみんなおおらかだっただなあ。
げんごろうさん
紙芝居屋がそういう場所に来てました。自転車の荷台に木の箱を乗っけて。水飴を薄い煎餅状の丸い板に挟んだのを売ってた。集まった子供らが舐めながら紙芝居を見ていた。カランカランと手で持つ鐘を鳴らして子供を集めてたかな? 月光仮面とかハリマオなど冒険活劇。団子屋も別の日に来てた。丸い団子を串にさしてタレを塗ったもの。こちらは蒸気でピーという音。今の焼きイモ屋に似てる。
テレビが普及した昭和30年代中頃までには姿を消して行った。
ごんべえさん
あお鼻をたらした坊主頭の小僧どもが多かった。学校から帰るとさっそく路地裏でゴムボールで野球。電信柱の一塁だけ。本ベースを木の棒で地面に描く。下駄やサンダルでやってた。ゴムでも結構ドロップやカーブもできた。舗装されてないから打った球が石ころに当たってとんでもない所に行った。

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