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河井継之助旧居跡

以前は小さな石碑が一つポツンと申し訳なさそうに建っていただけだったのが、今回40年ぶりに訪れたらきれいに整理されている上に、記念館が隣接して建っている。長岡まつりの期間だけだと思うが、多くの来場者でごったがえしていた。「つぐのすけ」と思っていたら、いつのまにか「つぎのすけ」になっているけれど、本当にそうなの? 誰か教えて。

投稿者:なんらかへんらなあさん 登録日:2014-08-08

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じんときたてぇさん
ついでにもう一つ。この塩澤の記念館は「河井継之助記念館」という館名ですから「つぎ」と読むのか「つぐ」と読むのかを事務の方に確認すればよかったでしたね。しかし館内に「つぐのすけ」とフリガナが振ってあるパンフがありました。明治三十六年生まれの小生の祖母は確か「つぐのすけ」と云っていたと記憶しています。私も小学校で「つぐのすけ」と習いました。郷土史家のはしくれさんは司馬遼太郎の峠で「つぐ」と読ませていると書いていますが、それは逆で峠では「つぎ」と読ませています。
じんときたてぇさん
先月の末 家族で東京から裏磐梯に旅行に行ってきました。ついでに会津塩澤まで足を延ばし、河井継之助記念館に寄ってきました。当地は継之助終焉の地で、継之助が亡くなった部屋である庄屋(医者でもあった)矢沢氏邸の座敷が記念館の中に移築されていました。元の庄屋の家は何年も前に只見川のダム湖の下に沈んでいるのだそうです。戦に敗れ八十里越えの難路を負傷しながらここまで退却し無念のうちに亡くなった継之助に思いを馳せ、元長岡市民の一人として感慨深いものがありました。ところでこの記念館は鉄筋2階建て大変立派です。一見の価値があります。しかし私の家族以外は参観者は一人も居ませんでした。皆さん是非行かれてください。
なじらねさん
「長岡甚句」「大花火音頭」に並ぶ長岡祭り3大パワープレイの「長岡城の唄」(1955年〜)では「むねんん〜やるなきぃつぎのすけ〜」と歌われてますな。
郷土史家のはしくれさん
「つぎ」か「つぐ」か。小学校じゃ「つぐのすけ」って習ったよね。司馬遼太郎の峠が「つぐ」だったから、長岡以外、日本全国「つぐ」になってしまいました。
うろ覚えらすけさん
僕も石ではなかったと思う。白ペンキを塗った木柵に黒のペンキで「河井継之助旧居」と書いてあったような気がする。しかも半分朽ちかけていたような。家と家の間の誰も足を踏み入れない小さな日陰の空き地だったよね。道路から眺めただけ。近づいてみる人は皆無でした。
toad5さん
40年前、子供の頃見たのは石碑だったかなぁ?木製の杭みたいなのに記されていたような記憶もある。で、その後ろに古い木造の、子供の私には廃屋のように見えた建物があって、大人にあるまでそれが残っていた生家そのものだと勘違いしていた。

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