この場所の思い出
こんにちは。 私が中学校の時に母親と一緒に日赤病院へいったのを覚えています。 ちょうど家のおばぁちゃんが入院していたのでお見舞いに行っていました。 今は、おばぁちゃんは77歳で亡くなりました。 その当時はかなりショックで泣いてしまいました。 今は、千秋ヶ原へ移転しまいましたが今も懐かしく思います。
こんにちは。 私が中学校の時に母親と一緒に日赤病院へいったのを覚えています。 ちょうど家のおばぁちゃんが入院していたのでお見舞いに行っていました。 今は、おばぁちゃんは77歳で亡くなりました。 その当時はかなりショックで泣いてしまいました。 今は、千秋ヶ原へ移転しまいましたが今も懐かしく思います。
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確かR351立川病院のそばに「ファミリー」(うろ覚え)とかいう寂れたパチンコ屋があったような。時代錯誤な感じの古めかしいパチンコ屋で、いつか入ってみようと思っているうちになくなってしまいました。
長町に昭和の初めからあった野村医院さん、今どうなってますか。家族ぐるみで代々お世話になってました。小さい頃(昭和30年代)、真っ直ぐで長い医院の廊下を走って遊んで怒られました。少し怖い太った先生でした。
小学生の頃、約3年通わせてもらった耳鼻科。位置的には平潟神社の前ですか。学区からかなり離れている割りに同学校の同級生で自分の他3人ほど通ってました。そして待室は満杯になり二階へ続く階段まで患者さんが溢れかえってました。老若男女問わず凄い人でした。きっと凄いお医者様だったのでしょう。でも通院を挫折してしまいしばらくして他の耳鼻科に通う事になりました。でも、仲間と通った思い出と帰りに殿町に迷い込み酔っ払いにからまれたのも良い思い出です。 さほど気にしてなかったですが地震以降診療されてないような気がするのですがどうなのでしょう?お分かりの方いらっしゃいましたらお願いします。
私が在校中の時、賑やかな子供達の姿や声を聞いて何だか癒された気がしました。 保育科卒業の友人の話だと、卒業する時に園児とのお別れ会みたいなものがあって、生徒も園児も大号泣で一生忘れられないと言ってました。 今はもう無くなってしまいましたが、卒園生も結構いると思います。 何か寂しいですね。
このサイト内の情報で無くなってしまったと聞き、投稿しました。個人的な話で恐縮ですが、自分が生を受けた場所であり、自分にとっての正に人生のスタート地点でした。・・・ まあ、病院にあんまり思い出があるというのもいかがなものかとは思いますが(笑)
ここはピーコックとかと違って人気ではなかったですが、単品でジャンボフランクがあり、今どきのとは違ってかなり肉っぽい感じがして美味かった。
中学のとき高校受験直前、友人に「あの怪しいお店行かない」と誘われ入った。モーニングがおいしかった記憶が。怪しさ=大人の香りだったあのころ…。
毎年お花見シーズンになると賑わうこのスポット。昔は手漕ぎボートもあり、近くに釣堀もありました。池のすぐそばに『湖畔亭』という喫茶店があり、生まれて初めて外食でミートソーススパなるものを食べました。今でも実家に帰ったときに愛犬と散歩しますが、シーズンじゃない時は寧ろ不気味ささえかもし出してるこの場所。昔はにぎやかだったのになぁ...ここはまさに80年代全盛だった気がします。自分は今でも好きなスポットです!
今でも、Googleに「長岡現代美術館」で 約 147 件がヒットします。それプラス「大光コレクション」では、当時の出来事がおぼろげながら呼び起こされます。 私は30年ほど前、高校時代に通い、マックス・エルンストの絵(墓碑銘?)が印象的でした。心の友も連れて行きました。当時、長岡の底力を見る思いでしたが、現実の底力は弱かった??
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (16)
その、日赤内の地下食堂 確か日本食堂?かな? なんでもあってお見舞いに行くと必ず寄っていました。食堂の店員さんたちがオカモチを持って病棟にも出前したり 年末年始にはオセチの注文があり サンプルがウインドウに飾ってありました。懐かしいなあ
食堂も綺麗なものに改築する前は、辿り着くまで迷路みたいな道程でした。 あの薄い緑色のプラスティックのお茶碗が懐かしい。
ここで生まれました!今はウオロクでしたか?薄暗い廊下、古い建物、消毒の匂い・・・通院でいったときは怖かった思い出しかありません。
こんにちは。 今はウオロクになりましたが今も懐かしいと思います。 最寄のバス停 『上田町』 料金:150円です。
16年前に里帰り出産入院。すごく広い病室に10人以上がワイワイとひしめいていました。「ベッドが足りなくて廊下に居た人もいるんだよ〜」と看護師さんが恐ろしい話をしていました。
すっご〜く、その気持ち分かります!母親が救急車で運ばれ手術した病院でしたから^^
上の子が旧日赤、下の子が新日赤です。上の子に「お前が生まれたのは魚売り場あたりかな」なんて笑いながらはなしてますよ
学生時代、原付で事故って救急車で運ばれたのがココでした。 妻が長男を産んだのもココで、夏で窓を開けていて、夜上の階から親の名を叫ぶ声が聞こえたと言っていたのを何故かおぼえています。重病者の病棟だったのでしょうか? 駐車場が少なくて、停めるのに苦労しました。取り壊し前はまるでお化け屋敷でしたね。ウオロクに「出る」という都市伝説もわかる気がします。
あの黄土色の古い建物、今でもたまに夢で見ている気がします(笑) バス通りの向こう側に食料品店やラーメン屋、成人向け雑誌の自販機などがありました。信濃方面には移転前の裁判所があって行き止まりになっていました。 みんな跡形もないのですねえ…
おばちゃんが入院してた時、近くの寿司屋から出前を頼んで一緒に食べた記憶があります。
近くの寿司屋・・・今は無き岬寿司さんですね。
旧建物の大正ロマン的な雰囲気好きでしたよ。
寿司屋は「かどふじ」。昔で言う吉原商店(全国一の売り上げになったセブンイレブン)の裏、駐車場の前ですね。岬も出前していましたが道路はさんで「せきよう」の前でしたね。
じゃまさん、詳しいですね もしかして病院職員ですか? 思い当たる人が一人。jamady
覚えてます! 当時小さかったですが、入口の木製?の扉の重厚感が凄かった記憶があります。天井も白くて高くて、怖かったイメージが強烈でしたね。
中学生の頃まで、旧日赤の眼科に通院していました。 その他にも、父や祖母が入院していたこともあり、 あの病院はとても印象深いです。 特に真っ昼間なのに薄暗かった病院の一階は、 いまだに忘れられません。