この場所の思い出
昭和40年代前半だったか、寿屋旅館の一角、このサイトの「なつかしMAP」では米百俵本舗のあたりに、魚市場のような場所はありませんでしたか?私は当時幼かったので通りからちらっと見るだけでしたが・・
昭和40年代前半だったか、寿屋旅館の一角、このサイトの「なつかしMAP」では米百俵本舗のあたりに、魚市場のような場所はありませんでしたか?私は当時幼かったので通りからちらっと見るだけでしたが・・
1 セッションにつき 1 票まで投票できます。
宮内駅角の写真屋さんのとなりにあったお店です。子供の頃、あの焼いている様子を見たくて、壁によじ上ったものです。足の付いたたこ焼ってそこのもの以外未だに出会ったことがないです。 いつの間になくなったのか覚えていませんが、できることならもう一度食べたいですね。
十数年前、長岡駅前駐車場に 夜な夜な出没していました。 飲んだ後によく食べてました。 確か500円くらいだったかな。 肝心の味ですが、飲んだ後は美味しいですけど、 シラフだと多分微妙な味だったと思います。(笑)
20年ほど前に長岡に勤務していたのですが,駅周辺での飲み会の1次会のあと2次会でこの店に行きました。確か,当時,長崎屋の向かい側で2階に上がっていくところでした。そこでカラオケをすると何とその歌声が外に聞こえるのです。お客が歌う声が外に流れるようなお店は他には無いと思います。どなたかこの店の名前と今,そうなっているのか知りませんか?
私が小学生低学年の頃長岡駅はまだ白くて小さな駅でした。 駅入口にぶんぶく茶釜の様な壺があり、子供心に何だろう?と蓋を開け中を見ると…汚いタンがいっぱい入っていました(涙) 今考えるとあれは何であんな目立つ所に?誰が片付ける?等疑問がわいてきます。
今から25年ほど前、バイトで住宅地図の調査をしているとき、宮内駅を背にして最初の十字路を曲がってすぐ左側に昔ながらの食堂がありました。そこは老夫婦で経営されているようで、お昼に味噌ラーメンをいただきました。名前もわからず、その夫婦はご健在かどうかもわかりません。
「さんぱち」「ごと」と呼ばれた市場を懐かしく感じますが、現在はやっていませんよね?確か大和脇の道路と愛宕付近だったでしょうか…。何が店先に並んでいたかも子どもだったため記憶が薄いですが。人で賑わっていたあのころが懐かしいです。
昭和50年頃の一時期、昔の松電ボウルの向かい、大手通り側の角にありました。 今は駐車場?酒販店があった辺り 当時いくつかあった二階建ての一店、駐車場がなかった?ためか早々に閉店したと思います。
四郎丸の交差点から四郎丸交番への途中の緩い左カーブの南側3軒目くらいにあった駄菓子屋?一文店?昭和50年ころよく行ってました。古い木造の店で雁木状になってたかな。プラモとかは紐で数珠繋ぎにぶら下げてあって、5円とか10円のオレンジガムやヨーグルト味の怪しいカップとか…あとは何があっただろう?店主はおじいさん?おばあさん?…記憶が…
(こうらく)と読みます。昭和40年代によく食べに行きました。洋風カツ丼とワンタン麺が美味しいお店でした。夏にはこのお店もアイスキャンディーを売っていました。十数年前に閉店してしまいました。場所は長崎屋を殿町側に向かってか、池津屋があったところの先だったのか忘れてしまいました。それに行楽はもう1店あったと思いますがどなたか覚えてませんか?
大積から柏崎に行く国道沿いに、丸鯉という店名で、いかにもという感じの古い食堂があったのですが、この前久しぶりに通ったら無くなっていました。もう10年以上前に仕事で柏崎に行く途中で何度か食事をした覚えがあります。2、3年前までは営業してたと思うのですが、どこかに移転したのでしょうか?
ここはピーコックとかと違って人気ではなかったですが、単品でジャンボフランクがあり、今どきのとは違ってかなり肉っぽい感じがして美味かった。
中学のとき高校受験直前、友人に「あの怪しいお店行かない」と誘われ入った。モーニングがおいしかった記憶が。怪しさ=大人の香りだったあのころ…。
毎年お花見シーズンになると賑わうこのスポット。昔は手漕ぎボートもあり、近くに釣堀もありました。池のすぐそばに『湖畔亭』という喫茶店があり、生まれて初めて外食でミートソーススパなるものを食べました。今でも実家に帰ったときに愛犬と散歩しますが、シーズンじゃない時は寧ろ不気味ささえかもし出してるこの場所。昔はにぎやかだったのになぁ...ここはまさに80年代全盛だった気がします。自分は今でも好きなスポットです!
今でも、Googleに「長岡現代美術館」で 約 147 件がヒットします。それプラス「大光コレクション」では、当時の出来事がおぼろげながら呼び起こされます。 私は30年ほど前、高校時代に通い、マックス・エルンストの絵(墓碑銘?)が印象的でした。心の友も連れて行きました。当時、長岡の底力を見る思いでしたが、現実の底力は弱かった??
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (2)
確かにありました。父が働いていました。
私の記憶が確かならば、その魚市場の名は「共隆社(きょうりゅうしゃ)」である。