この場所の思い出
長岡だけというものではないのですが郊外の道路、40年ぐらい前は正式な舗装でなくぬかるまないように砂利を敷き地ならしして、コールタールっぽいものを流してその上から砂をまく、簡易舗装が多かった記憶があります。小学生の頃は自転車で品で滑ってよくこけた思い出があります。
長岡だけというものではないのですが郊外の道路、40年ぐらい前は正式な舗装でなくぬかるまないように砂利を敷き地ならしして、コールタールっぽいものを流してその上から砂をまく、簡易舗装が多かった記憶があります。小学生の頃は自転車で品で滑ってよくこけた思い出があります。
1 セッションにつき 1 票まで投票できます。
長町にあった(今でもある?)自転車屋さん。自転車の修理やタイヤの空気入れなどしばしばお世話になりました。45年程前の話し。確か当時はお爺さんと、息子さんの二人でやっていたような。お店の横に小さな路地があって、そこが小学校(附属)の登校班の集合場所でした。朝早くから小さな子どもたちがワイワイ騒いできっと迷惑だったと思います。
「消雪パイプ」は確か学校町の旧浪花屋の前の通りが一番最初?に実験的に設置されて、長岡の各道路に普及したと思います。昭和40〜50年代は雪もたくさん降って、消雪パイプが活躍しましたが、道路が水浸しになって、歩く人はとにかく大変でした。小学生だった当時は、必ず「オーバーズボン」という中綿入りのサイドにファスナーのついた脱ぎ着しやすい防寒&防水用のズボンを履いて、車があげる、道路の水はねを防いでいました。 夏になると、井戸水を組み上げ、消雪パイプで水を流すので、井戸水の茶色の色が道路を変色させて、茶色になってる所があちこちありました。 特に夏の暑い日、この茶色の道路に打ち水として、消雪パイプを出すことがあつて、青空と、茶色の道路と、井戸水の匂いを今も覚えてます。
ここにはアスレチックがありました。 20くらいのアトラクションを順番にトライしていくシステム。 土の地面に、丸太とロープで作られたアトラクションは 自然物の良さがありました。 ちょっと難易度が高い感じが、時代を感じます。 あとミニSLもね!
長岡の学校町方面から8号線をわたり,悠久山へ向かう途中の二股に道路が分かれているちょうど真中に自転車屋さんがあったと思うのですがまだあるでしょうか?
「さんぱち」「ごと」と呼ばれた市場を懐かしく感じますが、現在はやっていませんよね?確か大和脇の道路と愛宕付近だったでしょうか…。何が店先に並んでいたかも子どもだったため記憶が薄いですが。人で賑わっていたあのころが懐かしいです。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (3)
入力間違い、品でなく砂でした。
防塵舗装といいます。
20年位前までシビックコアの前の道や、新潟証券の前の道ってアスファルトではないセメントと砂利が混ざったような舗装でしたよね。雨が降るとやたら滑った記憶があるんですが、いつの間にかアスファルトになっちゃった気がします