この場所の思い出
「寿司にお弁当ぉ〜」「お弁当にお寿司ぃ〜」って、駅ホームに鳴り響いてました。 初老のおじさん、おばさんのお二人が駅弁売り箱首に下げ、ホームを歩きながらの立売り。 とても響く声でした。いつの間にか見かけなくなりましたね。
「寿司にお弁当ぉ〜」「お弁当にお寿司ぃ〜」って、駅ホームに鳴り響いてました。 初老のおじさん、おばさんのお二人が駅弁売り箱首に下げ、ホームを歩きながらの立売り。 とても響く声でした。いつの間にか見かけなくなりましたね。
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車にクマのプーさんを満載したオジサンに詳しい方いませんか?
今から30年程前ですが、宮内駅近くにあった古い食堂があり、老夫婦でやっておられました。どなたかご存知ありませんか?
昭和30年代頃まで、大きな踏切の横に小さな小屋があって、おじさんが常駐していました。汽車が来ると、おじさんがハンドルを回します。すると上から棒やロープが下りてきて汽車が通過する間、人や車の通行を止めていました。 小さな子供達にとって、踏切り番のおじさんは憧れの職業でした。いつのまにか踏切り番のおじさんがいなくなり信号に変わってしまいました。祖母に連れられ近所の子供たちと一緒に汽車を見に袋町の踏切に行ったことが思い出されます。汽車に手を振ることが当時の子供の楽しい遊びでした。
こんにちは。 むかーし、むかーしの事長岡駅ホームにて『2番線新潟ゆき発車します次は北長岡に止まります』の後発車ベル『プルルルル』と言う音だったかと思いますが覚えていますか? 間違えたらすみません。 今の長岡駅の発車ベルは『2番線新潟ゆき発車しますドアがしまりますのでご注意下さい』に変わりました。 昔の長岡駅の発車ベルとても懐かしいと思います。
1972年頃、駅前にあった長崎屋長岡店3階紳士服売り場で、毎週土曜日の午後2時頃BSNラジオの公開録音がありました。放送は、翌日曜日の午後3時頃だったと思います。私は、友達と3人で「古井戸の早苗ちゃん」を歌い、ラジオで自分の声を聞いて感動した記憶があります。録音スタッフは、司会の人と録音技師の二人だけでした。が、その司会の人の名前が何だったか・・・思い出せません。
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
CD全盛期にレコードの針とかを売っていたマニアックな店。 私は良く知りませんが、長岡では、かなりの老舗だったんでしょうか? 他の店では売切れてるような人気のCDとかが、普通に売っているような事もあり、結構お世話になりました。
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
半端モンがボンタン買う店。 中学のときは 「池津屋に行くと、○○さんに、覚張の脇に連れ込まれて金とられるぞ」 という噂を真に受けて、こっそりココで、ボタンの裏の「留め具みたいなモノ」(正式名称忘れました)とかを買ったりしてました。 不良ツールの販売店の割りに、店員さんが妙にスマイルで、ブティック並に接客が良かったのを記憶してます。
プラモだけじゃなく、ボードゲームやテーブルトークRPGなどのマニアックな商材を揃えており、なぜか本店と差別化が図られていた。 ここで買った一番の思い出の品は、100面体のサイコロ・・・・。 結局何の役にも立たないまま、紛失。
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