この場所の思い出
宮内駅前の路地にあった店で初めて食べたときは衝撃でした。狭い店にいつも行列でした。休みと思ったら営業停止だった汚い店でもあった。
宮内駅前の路地にあった店で初めて食べたときは衝撃でした。狭い店にいつも行列でした。休みと思ったら営業停止だった汚い店でもあった。
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やっぱり長岡といえば青島でしょう!東京秋葉原にも進出。行列でなかなか食えないよ。
おはようございます。 ダイエー長岡店地下1階に確か飲食店があつたのを覚えています。 そこでたこ焼、お好み焼、お弁当を食べていました懐かしいと思います。
川崎に住んでいたころ,よく店の前を通って出勤してました。何か懐かしさを感じるレストランでしたが,まだあるのでしょうか?
新潟県立長岡聾学校の前か後ろ(中島地区)に食堂がありました。何という店だったのでしょうか。1987年頃に昼飯にオニギリあったのですが職場の先輩に連れられ焼きそばを食したと記憶しております。
長商 バス停まえにあった お店 昼休みになると 道路渡って アイス買いに行ったっけ あの店は あの後どうなったの? 後は、自転車での帰り道 平柳のバス停近くの お店も 懐かしいなぁ
すずらん通りのバス停前、今はカラオケ屋になっていますが、2階の壁面に大きな蟹のオブジェが付いたので覚えている人も多いと思います。 店の中に大きな生簀があって蟹料理のかに道楽と魚料理のいけす道楽にわかれていました。 お昼には低価格のランチもあって何度か食べにいきました。 全国チェーンで新潟にもお店があったと思いますが、いつの間にか県内にはお店が無くなってしまいました。
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
昭和40年代、「三和デパート」(と親が言ってたような・・)という3〜4階建てのデパートがなかったでしょうか?たしか柿川沿いだったと記憶しているのですが。上階にはペットを扱ってました。
1玉、2玉、3玉まで選べてお出汁の効いた澄んだスープが印象的だった。 なるとは「得」の字。
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
昔要町にあった店が市役所の近くに移転し、現在は閉店してしまいました。高い皿が並んで困る他店より、安く腹いっぱい家族で食べられて良かったのになー。残念!残った店は何処に。
25年ほど前,長岡駅裏の今朝白から干場に伸びる道路沿い,池田屋さんのあたりにコンビニ(今のような大手ではなく)があったのを知りませんか?今はもうありませんが当時,干場に住んでいた私には,貴重なお店でした。
コメント一覧 (22)
関東においても「うまいラーメン店」としてその名を轟かせている青島食堂さん。実は私、食べに行ったことがないんです。長岡出身者としてはちょっと恥ずかしいですね。(笑)今度帰省した時には絶対行きたいなあ。(いつのことやら・・・・)
昔よく兄のオゴリで食べました。当時のチャーシューはバラバラのクズ?みたいな肉でしたが、下の面が全然見えない位たくさん乗っていました。それとスープも、もっと野性的でコッテリしてたと思います。客に挑戦してくるようなダイナミックなラーメンで大好きでした。ラーメンに上品さは無用!(自論)
まだじいさんが現役のころですね。 よく保健所から営業停止喰らってたのは(笑
駅前店は美味かったですよね、今の青島も系列店もその頃の名残がなく普通の店になって全く行かなくなりました
s48高校時代、めずらしい店があると聞き友人に連れられて行きました。ラーメンブームでも無かったこの頃にしては、通常の出前ラーメンとは違った各別さがありましたね。値段は忘れましたが当時のラーメン庶民価格でした。
東京・秋葉原に支店が出来たそうです。まだ食べていないのですが、必ず食べに行きます。 周りの同僚の感想は上々です! でも、宮内の店の美味しかった記憶を持ってるので比べちゃいますね。若い女性が作っているとか。。楽しみです。
高校を卒業後に上京し、もう27年になります。 当時、私は長商、そして彼女は農高に通っていて、彼女を迎えに行く時は必ず青島のラーメンを食べていました。 いま、秋葉原の青島食堂へは週1回ペースで通っています。 なぜ? きっと、彼女を懐かしんでいるんでしょうね。
高校を卒業後に上京し、もう27年になります。 当時、私は長商、そして彼女は農高に通っていて、彼女を迎えに行く時は必ず青島のラーメンを食べていました。 いま、秋葉原の青島食堂へは週1回ペースで通っています。 なぜ? きっと、彼女を懐かしんでいるんでしょうね。
長岡から東京に出て約15年になる者です。 秋葉原店、スゴイです。凄くうまいです!宮内の本店に勝るとも劣りません。ホントに。 毎日行列ができてます。先日私の前に並んでらした方々が、長岡からの出張中の様で長岡のお店の話をされていたのが何だか微笑ましかったです。 東京近郊にお住まいの方は是非! また明日行ってきます!
そういえばこの前、偶然神田で仕事があり、歩いて青島食堂に行ってきました!運よく空いていて5人の同僚とカウンター独占。チャーシュー大盛り!生ビールまで!若い女性の方でした。 宮内の味と変わっていません。裏切られなかったのが嬉しい! 8月の帰省の際は混んでいて宮内店には入れず・・・子供がいなければ並んだのですが。
本店には最近帰省していないのでご無沙汰ですが、東京の秋葉原付近に進出した秋葉原店には行きました(秋葉原からかなり離れてますね)。ラーメン1杯の応援です。うれしいですね青島が東京で食べれるのは。ただ恐ろしく場所がわかりにくく駅から遠いです。あれで勝負できればと大したものと思います。連れの者たちはおいしいといいつつ「魚と生姜の香りがした」とグルメなことを言っていましたが私にしてみればこれがおいしいラーメンですね。やはり長岡のラーメンはすごいです。
確かこの辺りだった気が・・・
もっと昔(創業当初?)はこの辺にありました。 この通りは宮内町のメインストリートで先に踏切があり信越本線を渡れました。
地図に書き込んだ創業当初?の頃は、タバコの灰が入っていることもあった。(それは営業停止にもなるわ) 今は秋葉原にも進出して、生姜醤油味の長岡ラーメンとかカッコウ付けてるが、当初は味よりも、普通のラーメンを注文しても他の店のチャーシュー麺より焼豚がたくさん入っている店として人気があった。 しかも生姜はスープの味付けと言うよりも、豚臭さを消すために大量に投入したものがウケてしまったようである。 でも美味ければ結果オーライだけどね!
創業当初(メインストリート路地)の小学生の頃、父親に連れられ初めて食べた時はショックでした。チャーシュウがてんこ盛り、真黒くてしょっぱい味は当時の中華そばとは全く異質の食べ物で、完食できなかった記憶が・・・。しかし、長い年月を経て今では一番戴いたラーメンとなりました。 父は何回も通ったらしく、初代店主が引退後に我が家に遊びに来たことがありました。 今も大繁盛ですが、創業の心意気を考えるとちょっとだけ路線を心配しています。
長岡の元祖”指突っ込み”ラーメン。 洗練された今の味より昔の方が美味かった気がします。
S56年、農高に入学し、友人から連れていかれてハマりました。 「こんなラーメンがあったのか・・・・」 時代は流れ、あの頃の味わいも青春の想い出です。 残念ながら現在では滅多に行かなくなってしまいました。 万人向けでなく、あの頃の味は、復刻は無理ですかねぇ・・・
昭和45~48年頃、長岡の下々条からよく通いました。当時の味は衝撃でした。 黒いスープに山盛りのチャーシユウ・・・チョットしょっぱい味。 それでも並んで待ったものです! 親父さんも4~5人カウンターに腰かけると 作り始める、くわえ煙草の灰が長くなり落ちそうに・・・ ブツブツ小言を言いながら 作ったネ~・・・ 昭和57年に長岡を離れて以来、長岡へ行っていません。 懐かしいですね!!
同僚とラーメンを食べに行った時、私は黙って座って待っていたのですが? 同僚がご飯もの注文・・・ 途端に親父さんから出て行け!! の一括・・・ 同僚をなだめ?・・・ 親父さんに平謝り m( )m 何とかラーメンを 食べさせて貰った事もありましたネ~ 今となれば懐かしい思い出ですネ~
今、52歳で横浜に住んでいますが、18歳で就職のために東京に出るまでは長岡に住んでました。小学校低学年の時に昔の青島食堂に時々行きましたが、味が濃くて完食は無理でした。今は2~3ヶ月に1回は青島食堂の秋葉原店に行き、チャーシュー大盛りをペロリと食べます。 私にとっては青島ラーメンはソウルフードです。
45年ほど前の高校生時代、宮内の友達に誘われて初めて行きました。当時はどさんこみそラーメン全盛時代で、味の印象があまりありません。カウンターの中には農業高校の女子バイトだけがいて、なにやら気まずい雰囲気だったのでそそくさと退散しました。今は大ファンですがメタボでラーメン禁止令がでており、しばらくご無沙汰です。出張の折は秋葉原の店にも何回か行きましたが、チャーシュー100円増しメニューがないので寂しかったな。
昭和44〜5年ころであろう、南中学からちゃりこいで、部活帰りに結構通った、 注文とる前から麺は茹で始め、、大盛り注文入ると,麺を追加、、初代親父はよく馬賊になりたかった話を聞かされたもので、丼の縁には塩?ハイミー?が良く、こびりついてと、 ラーメンでもチャーシューの量は多くと、 当時は一時餃子もやっていた記憶がありと、 おもいちがいかも?で有るが、麺は今とは違い、かなり、低加水気味?であったような? 食べ終える頃?麺はかなり、スープを吸って色が変わっていた記憶があるがと、、 当時から大きな茹で釜出面を茹でる、チャーシューは切りおきを極力しない、スタイルであったかと。、