この場所の思い出
これは長岡だけの話ではないとは思いますが、昭和30年代の前半、私の住んでいた村でも、お金持ちの家からテレビが入りはじめました。まだテレビがない家の子供たちは5人〜10人も連れ立って「ごめんください。テレビ見せてください」と言って座敷で行儀よくしながらテレビを見せてもらったものでした。月光仮面とか風小僧が懐かしいです。
これは長岡だけの話ではないとは思いますが、昭和30年代の前半、私の住んでいた村でも、お金持ちの家からテレビが入りはじめました。まだテレビがない家の子供たちは5人〜10人も連れ立って「ごめんください。テレビ見せてください」と言って座敷で行儀よくしながらテレビを見せてもらったものでした。月光仮面とか風小僧が懐かしいです。
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こんにちは。 テレビ番組でごめんなさい。 日本テレビ系名物番組 『午後は○○おもいっきりテレビ』 9月末で終了します。 おもいっきりテレビが始まってから20年を向かいます。 その節目で日本テレビでは番組改編を実施します。 初代:山本コータロー 2代目:みのもんた 私が、楽しみにしているのはおもいっきり生電話です。 9月末で終了は残念ですけど10月からみのもんたの司会で新番組がスタートしますので楽しみにして下さい。
当時,市内には至る所にレンタルビデオ店がありました。私がよく行っていたのは,駅前の長崎屋の通りを宮内方向に進んで右手にありました。ビデオ1本,1000円という,今では考えられない金額でしたが,ちょうどバブル期だったので一度に3本くらい借りました。当時はビデオレコーダーを2台(1台は再生専用)持っている家庭が多かったですよね。ダビングを請け負うお店などもありました。時代を感じますね。
エレベーターを降りると大きなディスプレイがあった。いつも混んでいたなぁ。食券の半分置いていったけどちゃんと来るか心配だった。お子様ランチのチキンライス・・・懐かしいです。別に個室、宴会場がありました。
ゲームやコピー機があって、子どもたちのたまり場でした。
東坂之上にあった映画館とゲーセンとレストランなんかがあったビル。中学の時ランボーを一人で見に行ったっけ。日活の前を通る時、目のやりばに困ったよなー。ゲーセンはおっかないお兄さん方がいっぱいいたし。今、思い出した!もっと昔はスキッドカーっての車に乗ってぶつけるやつがあったような気が。どなたか覚えてる方いませんか?
昭和の頃、実家は旧市内でも田舎で店舗も近くになく不便な場所で、たぶん毎週くらい夕方になると移動式スーパーみたいなのが売りに来ていました。大音量で音楽を鳴らして存在を示していました。記憶に残っているのは「演歌チャンチャカチャン」と漁業系の民謡で、売り終わるまでエンドレスでならしていました。昭和50年代前半くらいかなぁ?自家用車の普及でか、何かの規制で来なくなったのかな?当時うちの親は割高だからあまり買わないって言ってたっけ(笑)
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (6)
そうそう、昭和33年〜34年ころのことですね。とくに日曜日は6時半から大村昆や芦屋雁之助 の「やりくりアパート」、7時から「月光仮面」7時半「風小僧」8時「ローンレンジャー」と面白い番組が続き、それが終わると、みんなでお礼を言って家に帰ったものでした。しかもこれは全国的な風俗だったようです。
テレビが電気屋さんの店の前に一台でんと置かれてあって、近所の子供たちが周りを取り囲んで見てましたね。子どもたちが外で遊ぶ時間は限られているし、テレビ番組も限られていたためか、相撲ぐらいしか見た記憶がない。若乃花が勝つと子どもたちみんなが拍手したものでした。電気屋さんの店前が遊び場になってました。電気屋さんも迷惑だったでしょうね。
テレビではなく電話なのですが、40年代の頃は電話のない家がまだあったと記憶しております。 電話器のあるお隣さんに電話をかけて、呼び出してもらっていたのを覚えています。
家の裏の近藤染物屋さんにテレビがいち早く入り、親しかった賢ちゃんの後ろについていき『テレビ見せてください・・』と近所の子供7・8人で見せていただきました。それまでは彼だけ『テレビ見においで!!』と呼ばれていたわけで・・! 国民的イベントであった、相撲は一番ごとに○●を付け、真剣?でした。行儀良く正座し、取り組みに感動し顔を見合わせながら至福のひと時でした。 帰らないと家から呼びに来られてしまい、印象的だったのが『ソフト買ってやるから帰って来い!』でした・・・大笑いす。・・・・映画『三丁目の夕日』なんか泣きながら楽しくみました。長岡に帰ったらどなたか声をかけてください!!この時代の話がしたいものです!!!・・・私のブログはこのサイトと相互リンクしていますのでご連絡ください・・・。
コメントの訂正です。我が家の裏にあった、早くからテレビのあったお家は紺籐染物屋さんの長澤さんでした。その節は有難うございました。
飲みに行ったときは真っ先に快傑ハリマオを、次に月光仮面、隠密剣士、ジャガーの眼を歌います。同じ世代の客がいると大いに盛り上がります。小学生だった昭和30年代中ごろの思い出がセピア色で目の前に浮かんできます。