2010年代以降

河井継之助旧居跡

投稿者: なんらかへんらなあ さん💬 コメント 10 件

この場所の思い出

以前は小さな石碑が一つポツンと申し訳なさそうに建っていただけだったのが、今回40年ぶりに訪れたらきれいに整理されている上に、記念館が隣接して建っている。長岡まつりの期間だけだと思うが、多くの来場者でごったがえしていた。「つぐのすけ」と思っていたら、いつのまにか「つぎのすけ」になっているけれど、本当にそうなの? 誰か教えて。

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コメント一覧 (10)

  • toad5 さん

    40年前、子供の頃見たのは石碑だったかなぁ?木製の杭みたいなのに記されていたような記憶もある。で、その後ろに古い木造の、子供の私には廃屋のように見えた建物があって、大人にあるまでそれが残っていた生家そのものだと勘違いしていた。

  • うろ覚えらすけ さん

    僕も石ではなかったと思う。白ペンキを塗った木柵に黒のペンキで「河井継之助旧居」と書いてあったような気がする。しかも半分朽ちかけていたような。家と家の間の誰も足を踏み入れない小さな日陰の空き地だったよね。道路から眺めただけ。近づいてみる人は皆無でした。

  • 郷土史家のはしくれ さん

    「つぎ」か「つぐ」か。小学校じゃ「つぐのすけ」って習ったよね。司馬遼太郎の峠が「つぐ」だったから、長岡以外、日本全国「つぐ」になってしまいました。

  • なじらね さん

    「長岡甚句」「大花火音頭」に並ぶ長岡祭り3大パワープレイの「長岡城の唄」(1955年〜)では「むねんん〜やるなきぃつぎのすけ〜」と歌われてますな。

  • じんときたてぇ さん

    先月の末 家族で東京から裏磐梯に旅行に行ってきました。ついでに会津塩澤まで足を延ばし、河井継之助記念館に寄ってきました。当地は継之助終焉の地で、継之助が亡くなった部屋である庄屋(医者でもあった)矢沢氏邸の座敷が記念館の中に移築されていました。元の庄屋の家は何年も前に只見川のダム湖の下に沈んでいるのだそうです。戦に敗れ八十里越えの難路を負傷しながらここまで退却し無念のうちに亡くなった継之助に思いを馳せ、元長岡市民の一人として感慨深いものがありました。ところでこの記念館は鉄筋2階建て大変立派です。一見の価値があります。しかし私の家族以外は参観者は一人も居ませんでした。皆さん是非行かれてください。

  • じんときたてぇ さん

    ついでにもう一つ。この塩澤の記念館は「河井継之助記念館」という館名ですから「つぎ」と読むのか「つぐ」と読むのかを事務の方に確認すればよかったでしたね。しかし館内に「つぐのすけ」とフリガナが振ってあるパンフがありました。明治三十六年生まれの小生の祖母は確か「つぐのすけ」と云っていたと記憶しています。私も小学校で「つぐのすけ」と習いました。郷土史家のはしくれさんは司馬遼太郎の峠で「つぐ」と読ませていると書いていますが、それは逆で峠では「つぎ」と読ませています。

  • 63歳の新大OB(もうすぐ64歳) さん

    何年か前に行きました。 村医だった矢澤邸は2回も移転しているんですね。 確か1回目はダム建設のため高台に建物ごと移転、2回目は損傷が激しくなり臨終の間だけを屋内に移転。 ホントに立派な記念館です。 なんで会津の人々は2回も矢澤邸を移転し、しかもこんなに立派な記念館を? と学芸員の方(確か目黒さんと記憶)に聞いたら「会津と越後は兄弟だから・・・」とおっしゃいました。 この言葉には涙が出そうでした。 近くには継之助のお墓もあります。 荼毘にふした時に残った灰を収めているそうです。 是非、訪れてください。 皆さんが訪れることで記念館も存続できます。 できれば只見線に乗って、景色を楽しみながら。

  • ふくみみ さん

    本日封切りの「峠 最後のサムライ」を観てきました。コロナ禍で何度も公開が延期されたこの映画。原作を読んでずっとこの日を待っていました。何度読もうが観ようが歴史は変わらないのに、何かを求めるように思いを馳せてしまいます。郷土への思いでしょうか…わずか最後の1年を描いた映画作品でも、長編の原作と比べると、何だか話をはしょられている感じはしました。でも、役所広司をはじめ俳優陣の演技がそれぞれよかったと思いました。

  • 65歳の新大OB さん

    私は「司馬遼太郎の罠」にはまった一人です。佐賀の乱首謀者とされる江藤新平を描いた「歳月」を最初に読み、えらく感動して「峠」「坂の上の雲」「竜馬が行く(龍でなく竜と書くところがポイント)」等の司馬作品を、高校生時代に乱読しました。高校の先輩に当時聞いた話ですが、私が入学する前年の母校長岡高校の創立百周年記念講演で司馬は「私が長岡を訪れたのはこれが二回目です」と言っていたそうです。現地現物をあまり観察しないで資料だけで書いているんだなあ、と少し残念に思った記憶があります(流行作家とはこのようなものか、と)。そんな事も有り、また年をとってひねくれてきた事もあるので、最近歴史小説は全く読まずに歴史書(一次資料等に基づいて歴史家が執筆した解説書など)をひたすら読んでいます。でも、こんな事を言いながらも「峠」を読んだ時には感動した事も事実です。年を積み重ねると素直には「感動」しなくなるのが寂しいですね。

  • くじら さん

    上の方と同世代 高校の百周年記念事業は悠久山への全校マラソンだけではなかったんですね 一年違いでマラソンも氏の講演も逃した私は、助かったというか惜しかったというか… それはそうと、映画での配役は役所広司ではなく鈴木宗男でお願いしたかった

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    💬 27❤️ 331980年代
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