この場所の思い出
ニューアラスカ(旧立川病院近く小松パーラーに次ぐ洋カツが名物) 金門飯店(新町 中華料理屋) 角芳、こもろ(新町 出前もする食堂) 滝沢食堂(呉服町旧長商生御用達) 煉瓦亭(阪之上、商工会議所斜め前) 出前も大型チェーンの波と高齢化が影響してるのでしょうか。
ニューアラスカ(旧立川病院近く小松パーラーに次ぐ洋カツが名物) 金門飯店(新町 中華料理屋) 角芳、こもろ(新町 出前もする食堂) 滝沢食堂(呉服町旧長商生御用達) 煉瓦亭(阪之上、商工会議所斜め前) 出前も大型チェーンの波と高齢化が影響してるのでしょうか。
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大積から柏崎に行く国道沿いに、丸鯉という店名で、いかにもという感じの古い食堂があったのですが、この前久しぶりに通ったら無くなっていました。もう10年以上前に仕事で柏崎に行く途中で何度か食事をした覚えがあります。2、3年前までは営業してたと思うのですが、どこかに移転したのでしょうか?
新潟県立長岡聾学校の前か後ろ(中島地区)に食堂がありました。何という店だったのでしょうか。1987年頃に昼飯にオニギリあったのですが職場の先輩に連れられ焼きそばを食したと記憶しております。
皆さんが長岡で美味しいと思うラーメン屋さんはどこでしょうか?青島食堂は定番ですが、わたしはここもお薦めです!このお店との出会いは今から、25年ほど前でしょうか、美味しくて今でも帰省した時は食べに行っています。月日は経っていますが、値上げもラーメンが550円⇒600円と数年前にあったくらいしか覚えがありません。店主のおじちゃんと女性の店員さん2人くらいで切り盛りしていたような。おじちゃんの「はい、どうものぉ。ありがとうございますぅ。」のイントネーションが独特で、良く覚えています。皆さんは何かエピソードはありませんか?
今から25年ほど前、バイトで住宅地図の調査をしているとき、宮内駅を背にして最初の十字路を曲がってすぐ左側に昔ながらの食堂がありました。そこは老夫婦で経営されているようで、お昼に味噌ラーメンをいただきました。名前もわからず、その夫婦はご健在かどうかもわかりません。
昔,職場の昼食でここに来ました。たしか天ぷらを中心に提供したところではないかと思います。国道側から2階に上がるところがあったと思います。以前,営業しているのを見かけたことがあったのですが今はどうでしょうか?
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (5)
煉瓦亭と城山は、学生時代にしょっちゅう使うコンパ会場でした。70年代後半です。初期は、城山なんて、会費1700円でした。アルコールは、ビール→日本酒。食べ物は何があったか覚えていません。でも、みんな生き生きしてました。なつかしいです。
金門飯店よくいきました 洋風カツ丼なら神田に行楽(この字だったかな)という食堂もありました。 呉服町のふぶきはカツカレーが安かった 袋町の食堂(名前失念)のチャーハン 中華の知味亭 洋食のキッチンはやみ これらがお気に入りでした
アラスカは同級生のご実家ですが、私の中の『洋カツ』は、アラスカの赤い洋カツです。残念ながらお店は無くなってしまいましたが、長岡に帰って赤い洋カツに出会うと、一瞬にして幼い頃の記憶が蘇ります。
金門は母がよく出前を取っていました。 学校から帰ってみると誰もいない家のテーブルに金門の中華丼が置いてあり温め直して食べていたのは懐かしい思い出です。 今思うと温め直しだから味や食感も落ちていましたが当時はウヒョーご馳走だーみたいな感じで嬉しかったですね。 最近実家に帰ってきたら閉店しててちょっと悲しかったです。
親に連れられてよく食事に行った『煉瓦亭』さん。店前の食品サンプルが並んだ大きなショーケースにドキドキしながら2階席に向かったっけ。 デザートでお気に入りだった『クリームパフェ』は煉瓦亭にしかなかったと思う。 今でも食べたい!と思い出します。