この場所の思い出
昭和45.46年ころ少しアルバイトでお世話になリました。小出に本店がありました、一階がグランドミュージックバ−「リド」二階が喫茶店「蒔」でした。冬になると支店長岡東坂之上の肉屋さんの二階の蒔に電車で通いました、大雪の年でア−ケイドの一斉雪おろしがあり自衛隊がホイールローダーで排雪しました。社長さん、ママさん、田辺さん、佐々木さん、桜井さん、あとすいません名前が思い出せません、おねぇ様方!社員旅行、熱海、飛行機で大島迄連れてもらって!懐かしい最高の青春の思い出です。
昭和45.46年ころ少しアルバイトでお世話になリました。小出に本店がありました、一階がグランドミュージックバ−「リド」二階が喫茶店「蒔」でした。冬になると支店長岡東坂之上の肉屋さんの二階の蒔に電車で通いました、大雪の年でア−ケイドの一斉雪おろしがあり自衛隊がホイールローダーで排雪しました。社長さん、ママさん、田辺さん、佐々木さん、桜井さん、あとすいません名前が思い出せません、おねぇ様方!社員旅行、熱海、飛行機で大島迄連れてもらって!懐かしい最高の青春の思い出です。
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店名を忘れました。「レイダ」だったかな?スターリンのライブがあった場所です(アナーキーだったかも)。
船乗りだったマスターが淹れる珈琲と珈琲ゼリーが美味しかった。 ミニコミ作ったよね?!(<街>だったかな?手書きだったよね。) Kはいつも、ミュージシャンやアーティストの溜まり場だった。 みんなどうしているんだろう…
昭和47年から49年頃、私は高校生でした。長岡工業へ通学途中、モーニング(ゆで卵、ホットコーヒー、パン)を注文して友人たちと良くゆんたくしたっけなぁ。
あの喫茶店(長岡書房や王雅和がある通りにあったはず)です。 高校時代に、その店に常設してあった大学ノートに、勝手に書き記したのは もう25年以上も前、いまもあるの? 昭和57年春に上京して以来、全くわからない長岡。 ついつい、思いつきですが、これだけ思い出したのでカキコミしてみました。 ではでは^^
35年ほど前ですが、長岡観光会館前の通りに、サイフォンでコーヒーをつくる喫茶店がありました。毎朝、互尊文庫に勉強に行く前、モーニングセットを食べるのが日課になっていましたが、あの喫茶店はもうないですよね。
高校の部活の帰り、三松によく通いました。レーメンは本当に美味しかった。あの味のベースは何だったんでしょうか? 細雪は、かき氷の氷がパウダーのように細かくて、白玉団子が、小さくて上品でした。また、ネーミングが素晴らしい!谷崎潤一郎の小説のタイトルをつけるなんて、心憎いです。今でもあるのかな?
高校の部活の帰り、三松によく通いました。レーメンは本当に美味しかった。あの味のベースは何だったんでしょうか? 細雪は、かき氷の氷がパウダーのように細かくて、白玉団子が、小さくて上品でした。また、ネーミングが素晴らしい!谷崎潤一郎の小説のタイトルをつけるなんて、心憎いです。今でもあるのかな?
昭和50年、村上から出てきて、初めて行った喫茶店が大手通の鍋忠の2階あたりだと思うのですが名前を思い出せません。長岡人の旦那(50歳)は、鍋忠の2階にサテンはない、と言い張ります。分かる方、よろしくお願いいたします。
今から25年くらい前ですが,国道8号線の関原のあたり(西郵便局に曲がる交差点の角だったと)に,Aコープとその隣に喫茶店がありました。もうかなり前に閉店したようですが,ランチなどもあり場所がらもあって落ち着いた中で食事することができました。皆さん覚えはないですか?
お店の名前は忘れました 料理教室の先生がやっていたらしいです。 ここのちゃんぽんが一番好きでした。
こんにちは。 長岡から離れ東京に移り住んで10数年になる者です。 もう20年以上前になりますが、駅前の大手道りのはずれのビルの2階だったか3階だったかに出店しておられた洋食屋さんです。ご夫婦で経営されており、ご主人の料理も、奥様の接客もとてつもなく素敵でした。その後、宮内の要町(?)に店舗を移されたのですが、確か平成6、7年ごろにお店を閉めてしまわれました。 要町店は当時映画館、CDビデオレンタルのアシタバ、8番らーめんのすぐ近くに位置しておりました。 さだまさしさんの写真が入り口近くに飾られていたのが印象的で、いつも暖かな雰囲気、今も忘れられないおいしい料理でもてなして下さいました。未だあんなに素敵なレストランには他に出会ったことがありません。子供目にも繁盛していたとは言い難いお店でしたが、私達家族に素敵な時間を下さった事、感謝の念と共に思い出される最高のお店です。
笹崎のマスカレード、よくランチしに行きました。プレートランチでしたよね。 とても美味しく、おしゃれな店内で、赤いソファーが好きでした。 某保育園の先生とお付き合いするかしないかみたいな微妙な関係でデートしたのが一番の思い出。先生の誕生日プレゼントに、マスカレードで食事して、シャネルの「クリスタル」をプレゼントした記憶があります。 殿町にもありましたね。 殿町で「赤ちょうちん」の2階でまずアルコールと食事で準備して、大手通りを何周か周り、声をかけたりして「マスカレード」に行くか、「スタージュス」(殿町の方の)に行くのが定番でした。 成果がない場合は、そのまま打ちひしがれ、「どさん子」の「カレーラーメン」を食べて解散、成果があった場合も「カレーラーメン」を食べ、明日のドライブの予定を立てるという、ある意味「アメリカグラフティ」みたいな、田舎の青春時代を過ごしていました。 もう東京にいる年月の方が長くなってしまいましたが、長岡の青春時代は楽しかったです。
80年代の終わりごろですが、イチムラのロイヤルに、うちのお母さんによく連れて行ってもらってました。そこのハンバーグが大好きで、今はもう食べられないのが残念です。薄暗い店内も妙に好きで、今でも思い出します。店の前にちょび髭のコックの人形が置いてあった気がします。包丁か何かを持った手が、上下に動いていて、録音テープか何かでメニューをしゃべっていたと思います。95年に、長岡工業高校に入ってからの夏の最初のバイトもロイヤルでした。590円のバイト代でしたが、いいバイトでした。ちなみにコックさんの一人が、店前のちょび髭の人形とそっくりの人でしたが、偶然らしかったようです。イチムラのファミレスとダブっていたら申し訳ないです。イチムラの地下の食堂は、行ったことがないので、よく分かりませんが。。。でも、懐かしいです。
昭和44年3月、初めての長岡、19歳で初めての1人暮らし。 会社でのお昼の弁当、日曜日の夕食、弁天食堂さんにお世話になった。 お金の無い私にツケで食べさして貰いました。 ラーメン・ライス、モツ煮定食、チョット贅沢に洋風カツ丼・・・思い出一杯です。 結婚し子供が出来、昭和57年に転勤するまで色々お世話になりました。 あれ以来ご無沙汰しています。 長岡、下々条での13年、私の青春時代そのものでした! 私も70歳になり、懐かしく思い出します。
ここは、昭和54年〜56年「長岡高校」で育った私がお世話になった高校前にあるパン屋さんです。 当時の高校生なら「旭屋」ですぐわかります。今はあるのでしょうか?(東京に出て四半世紀以上経つので、現在どうなったか、知らないのです) 当時の長岡高校は、甲子園に一年おきに出場するといった華やかな時代であり、運動部が幅を利かせた時代であります。 この「旭屋」さんでつけ払いで買える運動部も「硬式野球部」を始め、弓道部・柔道部・剣道部・とか・・・限定された者にしか与えられていない特権でありました。(私もその一人でした) たしか「54年の陸上部会」で 応援合戦の寸劇にて、あの伝説の「旭屋おやじ」の名セリフ 「店の入り口が自動ドアになったも、 チョーコーさんのおかげですて・・・」 とにかく、「旭屋」を知らずして長高生にあらず、でありました。 ちなみに 「旭屋」のオリジナルラベルが張ってある「サイダー」に「パンの耳」をつけて食べるのは、「長高剣道部」が始まりです! お世話になりました。ありがとう!!
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (1)
蒔でしたっけ!懐しいなウェートレスのおネーチャンが紫色のミニが制服?でしたっけカッコよかったな 毎日帰宅の折遠回りになるのに友達とおネーチャンみたさにかよったな