この場所の思い出
子供のころ、村祭りのときは神社の敷地に芝居の舞台が設営され、田舎まわりの劇団が毎年やってきました。そのほかにも年に何回かまわってきて小学校の体育館で公演していました。でも、いつの間にか村祭りのときも、小学校へも来なくなってしまいました。あの村祭りの劇団は何年ころまで村々を巡回していたのでしょうか。どこの劇団だったのでしょうか。
子供のころ、村祭りのときは神社の敷地に芝居の舞台が設営され、田舎まわりの劇団が毎年やってきました。そのほかにも年に何回かまわってきて小学校の体育館で公演していました。でも、いつの間にか村祭りのときも、小学校へも来なくなってしまいました。あの村祭りの劇団は何年ころまで村々を巡回していたのでしょうか。どこの劇団だったのでしょうか。
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母が働いていて、よく食べに行ってました。アイスキャンディーもあって、おいしかったのを覚えています!
長岡まつりは、長岡花火大会が行われる8月2・3日とその前夜祭(8月1日)で構成されていたと記憶しています。 現状も大まかには変わらないのですが、昔は、その前夜祭の規模が大きかったと思います。 その一つとして鼓笛隊・ブラスバンドによるパレードがあります。 私は1970年代に、小学高学年~中学生の間、鼓笛隊・ブラスバンドとして参加していましたが、確かその頃は長岡市内の多くの学校が参加していたので、その規模がすごかったと記憶しています。 大手通り一面が埋まってしまうような規模だったと思います。 一斉に、長岡甚句や長岡大花火音頭など同じ曲を演奏するので、迫力も満点でした。 いつもは、運動会・体育祭・スポーツの応援という活動がメインですが、この日は、主役なので、いい思い出として残っています。 確か、旧厚生会館が、集合・解散場所だったと記憶しています。 あの頃の夜空はきれいだったな…
綿飴 お面 メンコとか 10円のお好み焼きが大好きでした
今から、1313年前の706年に祀られた神社だそうだ。近郊住民からは蔵王さまとよばれていた。私は新町小学校、北中学校に在学し校歌は金峰蔵王を背景に作詞されていた。 幼い頃から、4月と7月の行われるお祭りが楽しみで、今から50年前頃の祭りの賑やかさは しっかりと脳裏にやきついてる。いろいろな屋台が神社敷地に立ち並び、笛の音や花火音が鳴り響き本当に楽しい思い出であった。
今から、50年前新町小へ通っていた頃、よく同級生と一緒に蔵王様(蔵王神社・金峰神社)と隣接している蔵王公園でキャッチボールやバトミントンとかブランコなんかで遊んでいました。 家から自転車で行くのに小学生にはちょうどよい距離で、夕方薄暗くなるまで遊んでいたことを覚えています。 神社は木々に覆われていて、1000年以上前に建立された趣がある神社でした。 春と夏のお祭りのときは屋台がたくさん並んで友達と一緒に楽しんだ記憶があります。 今もお祭りやっているんでしょうか? この神社の奥に当時としては最先端のアーチ状の屋根の形をしたツガミの研究所があったかと思います。 今回、神社に行ったときにはその建物がなく、普通の団地ぽい建物?マンション?みたいなものが建っていました。 当時は蔵王様の雰囲気と研究所の建物の色合い、デザインが何となく調和していていい感じでしたが、今回久しぶりに蔵王公園に来てみて現在の風景に”なぁんか変なの”って違和感を感じてしまいました。 半世紀の時の流れって大きいですね。
近年、めっきり少なくなってしまった露店。 昔は、平潟神社を中心として露店が広がり、道路を挟んだ殿町方面に金魚エリア、神社の裏手には盆栽エリアなどもあり全部見るのも大変だった思い出があるのですが… あの頃のお祭が懐かしいです。
私は団塊の世代の人間です。小学生の頃は子供の数がやたら多く、お寺や神社の境内はいつもにぎやかな子供達の声であふれていました。子供の遊びと言えば、秋はパッチ、春はビー玉でした。その後パッチやビー玉を見かけなくなってからずいぶん経ちますが、パッチやビー玉はいつ頃まで子供達の遊び道具だったのでしょうか?
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (1)
どさ回りの劇団が村祭りの小屋掛け芝居や、学校、公民館などで公演していたのは半世紀くらい前までではないでしょうか。昔は、田舎の人達にとって娯楽と言えば芝居とか、巡廻映画に限られていました。どの家庭にもテレビがはいった頃から村祭りの芝居が来なくなったような気がします。