この場所の思い出
私は団塊の世代の人間です。小学生の頃は子供の数がやたら多く、お寺や神社の境内はいつもにぎやかな子供達の声であふれていました。子供の遊びと言えば、秋はパッチ、春はビー玉でした。その後パッチやビー玉を見かけなくなってからずいぶん経ちますが、パッチやビー玉はいつ頃まで子供達の遊び道具だったのでしょうか?
私は団塊の世代の人間です。小学生の頃は子供の数がやたら多く、お寺や神社の境内はいつもにぎやかな子供達の声であふれていました。子供の遊びと言えば、秋はパッチ、春はビー玉でした。その後パッチやビー玉を見かけなくなってからずいぶん経ちますが、パッチやビー玉はいつ頃まで子供達の遊び道具だったのでしょうか?
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町々に子供がいっぱいだった頃。どこの町にもみんなが集まって遊ぶ場所が自然にできていた。女の子はパンツ丸出しでゴム跳び、男子はチャンバラと・・・・
物心付いた子供の頃 近所の校庭で竹ひごとヒューム管の紙ヒコーキが大空を舞っていました いつか上手に作りたい・・・何回作っても失敗続きでしたが、あっという間にブームは去ってしまい、次はレーシングカーと怪獣プラモに夢中でした 男心と秋の空?
堀金にあった駄菓子屋です。パレードのガラナ味&たこ焼き太郎食べながら店先にあったマリオブラザーズやってました〜。爆竹や煙幕やネズミ花火を近所迷惑省みず店の前でやってました〜。御近所の皆さんすいませんでした〜!…でも、こんな遊びが普通に許されていた(ホントは許されてない!?)時代に子供だったおいらは幸せ者です。(笑)
今から、50年前新町小へ通っていた頃、よく同級生と一緒に蔵王様(蔵王神社・金峰神社)と隣接している蔵王公園でキャッチボールやバトミントンとかブランコなんかで遊んでいました。 家から自転車で行くのに小学生にはちょうどよい距離で、夕方薄暗くなるまで遊んでいたことを覚えています。 神社は木々に覆われていて、1000年以上前に建立された趣がある神社でした。 春と夏のお祭りのときは屋台がたくさん並んで友達と一緒に楽しんだ記憶があります。 今もお祭りやっているんでしょうか? この神社の奥に当時としては最先端のアーチ状の屋根の形をしたツガミの研究所があったかと思います。 今回、神社に行ったときにはその建物がなく、普通の団地ぽい建物?マンション?みたいなものが建っていました。 当時は蔵王様の雰囲気と研究所の建物の色合い、デザインが何となく調和していていい感じでしたが、今回久しぶりに蔵王公園に来てみて現在の風景に”なぁんか変なの”って違和感を感じてしまいました。 半世紀の時の流れって大きいですね。
今から、1313年前の706年に祀られた神社だそうだ。近郊住民からは蔵王さまとよばれていた。私は新町小学校、北中学校に在学し校歌は金峰蔵王を背景に作詞されていた。 幼い頃から、4月と7月の行われるお祭りが楽しみで、今から50年前頃の祭りの賑やかさは しっかりと脳裏にやきついてる。いろいろな屋台が神社敷地に立ち並び、笛の音や花火音が鳴り響き本当に楽しい思い出であった。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (7)
私が小学生になる前、昭和36年まではパッチ(パッチンとも言ってました)やビー玉は男の子の遊びの王様でした。その後急速にみなくなりました。パッチは●や■とか、月光仮面の絵が描いてあるのとか様々で、遊びそのものとコレクターとしての両面があったように思います。近所の悪ガキにせっかく集めたパッチをみんな取り上げられ、ベソかいていたことなど懐かしいです。
昭和38年生まれの川崎小学校ですが、私の頃もパッチやビー玉で普通に遊んでました。ビー玉はサイコロの5の形に穴を掘って順番に入れていくやつですよね?3周して真ん中の穴に入れると鬼になって他のビー玉が取れるやつ。ちなみにパッチという言葉は転校先の東京ではメンコと言わないと通じませんでした。長岡では、メンコは一円玉位の小さいやつで指に挟んで飛ばして遊ぶやつで、それより大きな丸や四角で地面に叩きつけて遊ぶのはパッチ、と使い分けていましたが。
近所で毎日やってました。 ビー玉は私たちの呼び方でたしか「ほんこ」と「うそこ」があって、ビー玉を賭けることを「ほんこ」と言っていたと思います。ほんこはするな!と先生から叱られた覚えがあります。
パッチもビー球もいっぱい持ってました。なんで捨てたんだろうって思いませんか? 今持っていればかなりの価値があるだろうに。
ビー玉の「ほんこ」「うそこ」もやってた記憶あります。あまり人の来ない路地で地面に小さな穴を作って毎日やってた。「パッチン」という風に呼んでたメンコの絵柄はよく思い出せないが・・・、相撲や剣豪だったろうか。長方形が殆どだったが丸い円盤状のものもあり、これが束ねられて蝋で端面を固めてあったのを覚えている。パッチンの角を折り曲げておき、板に勢いよく振り下ろして相手をはじき飛ばす。いろいろやり方はあるのだろうがこれらを紹介した書物はあるだろうか。なければ、どなたか調べてくんなせ〜や。
「ほんこ」「うそこ」という呼び方は当地だけかと思っていたが他の地域でも使われているようだ。 四国や兵庫県でもそう言うそうだ。 私は「うそっこ」と言ってたかな。
「わんず」の生息する宮内の育ちです。ビー玉はラムネと言っていました。転校生さんの遊び方とメッパチ?と言って眼の高さから自分のラムネを落とし相手のラムネに当てて取る…というものです。