この場所の思い出
稽古町、今はなき中華「珍萬」。生まれ育ったのが福住なのでよく出前とりました。祖母があそこの中華丼の大ファンだったんです。隣の寿司屋「加久登」は現役ですね。あ、あと、「珍萬」の隣には豆腐屋。そして豆腐屋の向いには駄菓子屋。あー、めっちゃ懐かしいぜ!!
稽古町、今はなき中華「珍萬」。生まれ育ったのが福住なのでよく出前とりました。祖母があそこの中華丼の大ファンだったんです。隣の寿司屋「加久登」は現役ですね。あ、あと、「珍萬」の隣には豆腐屋。そして豆腐屋の向いには駄菓子屋。あー、めっちゃ懐かしいぜ!!
1 セッションにつき 1 票まで投票できます。
今もあるかどうか、長岡を離れて久しい私には分かりませんが、昭和30年代、長岡にあったお寿司屋さんです。「蛇の文」、「みよしの」、「若竹」、他にいくつかありましたが思い出せません。父に連れられて、カウンター席で緊張しながら海苔巻きをつまんでいたことが懐かしいです。小僧寿しなどのチェーン店がまだない時代。それぞれのお店の大将のカッコイイ姿が目に浮かびます。
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
いまでもあるとうちゃんラーメンとは別に、かあちゃんラーメンってあったのを覚えていますか?
ジャンボ餃子の走り?少し有名でした。 これと言ってうまい物がない感じの深夜まで営業していたラーメン店です。 覚えている方いますか?
長高の前の道(みどり屋のとこ)を駅方面に行き、台町の踏み切りのすぐ手前の右側にあった手打ち蕎麦の店です。蕎麦はちょっと黒っぽい、いわゆる田舎蕎麦だった。よく食べたのが「しっぽくソバ」で当時は意味も判らず食べてたけど今にして思えば「卓袱蕎麦」だったんだろうな。この店は夏になると「氷中華」なるものを始めて(冷たいラーメンに氷の塊が入っているの)これも好きで良く食べたっけ … 遠い目。で、ずいぶんな老舗だったと記憶しているけど、どこへ行ったんでしょうか。風の噂では長倉とか土合とかに移転したと聞いたのですが、どなたか御存知ですか?
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
CD全盛期にレコードの針とかを売っていたマニアックな店。 私は良く知りませんが、長岡では、かなりの老舗だったんでしょうか? 他の店では売切れてるような人気のCDとかが、普通に売っているような事もあり、結構お世話になりました。
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
半端モンがボンタン買う店。 中学のときは 「池津屋に行くと、○○さんに、覚張の脇に連れ込まれて金とられるぞ」 という噂を真に受けて、こっそりココで、ボタンの裏の「留め具みたいなモノ」(正式名称忘れました)とかを買ったりしてました。 不良ツールの販売店の割りに、店員さんが妙にスマイルで、ブティック並に接客が良かったのを記憶してます。
プラモだけじゃなく、ボードゲームやテーブルトークRPGなどのマニアックな商材を揃えており、なぜか本店と差別化が図られていた。 ここで買った一番の思い出の品は、100面体のサイコロ・・・・。 結局何の役にも立たないまま、紛失。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (19)
小学校に通学する際に時々店の前を通ったもんだ。昼間、店の中で食べている人を見かけたことはほとんどない。いつもひっそりしていたな。我が家で夜食として中華そばを何回か出前で注文したことがあったけど、確かにおいしかった。使っている丼ぶりが他の店とちょっと変わっていたような。それに店の名前がおもしろい(?)ので子どもたちの間で騒がれていたことも思い出すね。
吉田外科へ入院中にここから出前して貰った記憶があります。 やはりお店の名前がインパクト有りですね。
懐かしいですねぇ。40年前の中3の時、他校(東北中)に行って学力模擬テストがあったんでよ。私は北中だったんですけど、帰りに友人が「美味い中華屋があるよ」と言って初めて珍萬に入りました。“チャンポン麺”?初めて見るメニュー名・・早速注文し食べたところ本当に美味かった。 高校時代は他校の友人が長町に住んでいたので遊びに行っては出前でラーメンを注文していました。 ラーメンブームでもなかった当時を振り返れば本格的中華屋さんではなかったでしょうか。
珍萬といったらチャーハンと言わなきゃモグリでしょ! 歳とられて、お店たたんだけど、 チャーハン作るときの秘伝のタレ 教えてもらいたかったなぁー・・ おやじさん!!
珍萬といったらカツ丼。 ウチのじいちゃんの大好物でした。 アタシは中華丼派だったけどね♬
珍萬の、息子と当時一緒に行っていた、塾が一緒で、よく話しを、しながら帰った覚えがあります。彼は、優秀だったので、長高へ入ったので、多分進学して店は、継がなかったはず、懐かしいです、もう、あれから34年ぐらい経つかな。
息子と同級生でした。彼のあだ名はもちろん「珍萬」。閉店しちゃったんですね…
珍萬のカレーとチャーハンは絶品!あれ以上のものになかなか出会えない・・・
確か1度閉めてから、別のオーナーさんがそのままの名前で営業していたような…。
えっ、珍萬がいまないの!俺はかずひろと幼なじみで珍萬のカレーは世界一美味しいと思って。 しばらく長岡に帰ってなかったらこんなに悲しい事は、本当に本当にない。珍萬のカレーを食べたくて今まで生きてたに。
さっきから鼻水と涙がとまらない。本当に店が終わったの?道子の旦那さん継いでくれなかったの? かずひろ、かずとだよこれをみたらコメントくれよ、必ずレスするから!
なくなった祖母が珍萬の中華丼の大ファンでした・・
「炒飯の美味しい店は何でも美味しい!」という事を 教えてくれたお店でした。 カツ丼、カレー、中華丼、味噌ラーメン、何でも美味しかった! 特に炒飯はあちこち探してますが、未だ珍萬と同等に巡り合えず・・・
今日、たまたま珍萬で検索したら 数年ぶりに同じ日の書き込みがあるなんて! おじいちゃんが出前で頼んでくれたのをおぼろげに覚えています。 ラーメンってそうやって出前できるんたと、 40年前くらいに思った記憶があります。 どんなラーメンだったのか、今一度食べてみたいなあ。。
珍萬の炒飯混んでたらひろやのうどんでしたね!
チャーハンはいい日本一に違いない あの味を求め続けているけど、似たものにすら出会えない?
中学・高校の頃、実家で珍萬から出前を取る時には決まって大盛り炒飯を頼んで貰ってました。 あれから40年以上が経っても炒飯=珍萬は不変で、あの味を求めて町中華店を巡り炒飯を頼みますが、今まだあの炒飯の味に出会えていません。
小学生の頃長岡駅前で親に「お昼は珍萬で食べたい」と言ってたら知らないおじ様に「ちんまんなんて言うんじゃない」と諭された思い出があります。
小学校まで珍萬さんと同じ町内に住んでいました。 私にとって最高の街中華は間違いなくこの店です。 加久登さんの息子さんとは同級生でした。 懐かしいですね。