この場所の思い出
現マルイ学校町店ですが、確か小2の頃完成して、長崎屋やふくやま、花屋なんかのテナントも入って子供心にすごいスーパーができたと思ってました。 そして初めてバイトしたところでした。レジ教育は社長夫人でした。 とても丁寧に指導して下さったのを覚えています。 それと、初めての女性もここの社員の方でした(笑) 中越地震の翌日には営業再開していてライフラインの途絶えた中簡単に食べられる食料品とか本当に助かりました。 突然の倒産は本当に驚きました。
現マルイ学校町店ですが、確か小2の頃完成して、長崎屋やふくやま、花屋なんかのテナントも入って子供心にすごいスーパーができたと思ってました。 そして初めてバイトしたところでした。レジ教育は社長夫人でした。 とても丁寧に指導して下さったのを覚えています。 それと、初めての女性もここの社員の方でした(笑) 中越地震の翌日には営業再開していてライフラインの途絶えた中簡単に食べられる食料品とか本当に助かりました。 突然の倒産は本当に驚きました。
1 セッションにつき 1 票まで投票できます。
確か1970年代からあったフレッシュマート「ツチダ」。 「原信」と共に愛されてきたスーパーマーケット。 私の思い出にあるのは学校町店です。 皆さんの思い出にある「ツチダ」はどこですか?
現附属小中学校正門の向かい側辺りに昭和50年頃は店名は忘れましたが釣り具屋があったと記憶していますが、詳しくご存知の方、いらっしゃいますか? 当時はまだ新潟大学教育学部、工学部があったためか、他にもお店が並んでいたような気がするのですが。喫茶店とかも。
現在の、附属中や、中央図書館の辺りは、新潟大学の建物がありませんでしたか?美術的にも美しく、親の運転で通りかかると、口をポカーンと開けて見てしまい、芸術的な地帯でした。取り壊しが決まった時は、親に写真に撮ってとお願いしましたが駄目でした。もう一度、見たいです。
先日、旧中島店がウオロク昭和店としてオープンしましたが、 黒条、新保店は再オープンの噂さえ聞きません。 果たして、復活する日が来るのでしょうか?
私が川崎町に住んでいたころ,今のアップルグリムから奥に入って行ったところにフレッシュマートツチダの別店でこの店がありました。おそらく今は無いと思いますが,その跡地はどうなっているのか気になります。
26年前位に今のイトーヨーカドーの裏辺りにあった美容室で店内はコンクリート打ちっぱなしで上田正樹似のオーナーと奥さんで経営なさってました。 当時高校生でしたが、ちょっと背伸びをして通っていてちょっぴり大人を感じてました。 すごく丁寧でこだわりを持った方で正に職人というに相応しい感じでした。 今ではオッサンになったので美容室的な場所へは敷居が高く行くことができませんが まだお店はあるのでしょうか? ご存知の方情報をお願いします。
宮内のあたりだったと思います。 1つの建物に何部屋もあるのではなくて、広い駐車場に一部屋ずつ建っていて、公衆トイレみたいなプレハブ小屋みたいなカラオケボックス、ありましたよね? 受付も別の建物でした。 お店の名前がコスモラインだったことはなんとなく記憶にあります。 いくら調べてもコスモライン川崎店しかヒットしないので、もう潰れてしまったのかな、と思い投稿しました。 小、中学生の頃、友達といっしょに親に連れて行ってもらっていたのは駅前のカラオケじゃなくていつもここでした。安かったからなのかな? 電車好きの友達が近くの線路に止まっていたブルーサンダー?とやらを見て興奮していたのを覚えています。 何かわかる方いらっしゃったら教えていただきたいです。
1980年前後に旧付属長岡中学校の近くにあった文房具店。店主のおばちゃんがとても優しいひとで100円位の買い物でも10円おまけしてくれるような感じで幼心に「ここはこれで商売成り立つのか?」と思ってました。結構前に無くなっていたような気がしますが当時の生徒はみんなお世話になったんではないでしょうか? 「おばちゃーん。ありがとねー!!」
5年くらい前まであった焼き鳥屋さん。 「たかくら」という名前で、女将さんはいつも割烹着の下に着物を着て、親父さんがハッピにハチマキで焼き鳥・調理を担当されていました。 焼き鳥はボリュームも味も群を抜いており、値段も非常に良心的でした。 焼肉・納豆などの定食、揚げ出し豆腐などの一品も充実しており、どれも美味でした。 店内は趣のある造りで、古き良き昭和を感じるお店でした。 帰省時は必ずお邪魔していたのですが、ある年行ってみると駐車場になってしまっており、とてもショックでした…。
イトーヨーカ堂のミスタードーナツの前のビルの2階にあった、当時長岡では貴重なイタリアンのお店でした。自分で削って好きなだけかけられるパルメザンチーズが嬉しかった。木製サラダボールに削ったパルメザンチーズがたっぷり入って運ばれてくる時期もありました。(パルメザンチーズシステムは何度か変更されました) お店は30年前まではあったように思います。 カルボナーラというものを初めて食べたお店でした。私にとってはここのがスタンダードになってしまい、他店のカルボナーラが受け入れられなかった。実はここのが異端児だったんだと大人になって知りました。よって、同じようなカルボナーラは二度と食べられないのが残念です。 トスカーナの店内を仕切っていた女性が、イトーヨーカ堂のランドセル売り場で店員さんになっていたのを一度見たことがあります。
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
CD全盛期にレコードの針とかを売っていたマニアックな店。 私は良く知りませんが、長岡では、かなりの老舗だったんでしょうか? 他の店では売切れてるような人気のCDとかが、普通に売っているような事もあり、結構お世話になりました。
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
半端モンがボンタン買う店。 中学のときは 「池津屋に行くと、○○さんに、覚張の脇に連れ込まれて金とられるぞ」 という噂を真に受けて、こっそりココで、ボタンの裏の「留め具みたいなモノ」(正式名称忘れました)とかを買ったりしてました。 不良ツールの販売店の割りに、店員さんが妙にスマイルで、ブティック並に接客が良かったのを記憶してます。
プラモだけじゃなく、ボードゲームやテーブルトークRPGなどのマニアックな商材を揃えており、なぜか本店と差別化が図られていた。 ここで買った一番の思い出の品は、100面体のサイコロ・・・・。 結局何の役にも立たないまま、紛失。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (4)
そのまた昔、30年くらい前には、今は四郎丸コミセンの辺りだったと思うけど、小さなツチダがありました。四郎丸店だったか学校町店だったかは忘れましたが、カマボコ屋根の小さな店で、その後ツチダの倉庫として使われて、そのあとどうなったのでしょうね。
投稿者さんは1968との事ですね。小生は43年生まれです。確かに懐かしいです。今は旧市街に引っ越しして利用していませんが・・・。抽選クジでリンゴやミカン、商品券がよく当たりました。
現コミセンの東側に本店がありました。雪でつぶれその後は本社事務所として使っていましたが要町へ移転(このころが全盛期)金房、又三郎へ店舗展開その後に学校店へと大きくなりました。その頃の社長は今でもお元気です。
このツチダ学校町店ですが、正面入り口から見て、右側の壁にも、小さなお客様用出入り口があり、アーケードゲームのナムコのギャラクシアンがあり、自分でコンセントを刺して電源を入れてから、硬貨を投入しプレイ出来ましたが、あんな狭い所で一人でゲーム機に向かって一生懸命になっている姿は恥ずかしかったですね。