この場所の思い出
昭和30年代頃まで、大きな踏切の横に小さな小屋があって、おじさんが常駐していました。汽車が来ると、おじさんがハンドルを回します。すると上から棒やロープが下りてきて汽車が通過する間、人や車の通行を止めていました。 小さな子供達にとって、踏切り番のおじさんは憧れの職業でした。いつのまにか踏切り番のおじさんがいなくなり信号に変わってしまいました。祖母に連れられ近所の子供たちと一緒に汽車を見に袋町の踏切に行ったことが思い出されます。汽車に手を振ることが当時の子供の楽しい遊びでした。
昭和30年代頃まで、大きな踏切の横に小さな小屋があって、おじさんが常駐していました。汽車が来ると、おじさんがハンドルを回します。すると上から棒やロープが下りてきて汽車が通過する間、人や車の通行を止めていました。 小さな子供達にとって、踏切り番のおじさんは憧れの職業でした。いつのまにか踏切り番のおじさんがいなくなり信号に変わってしまいました。祖母に連れられ近所の子供たちと一緒に汽車を見に袋町の踏切に行ったことが思い出されます。汽車に手を振ることが当時の子供の楽しい遊びでした。
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はるか昔、昭和36年頃のことです。お花見シーズンには悠久山には子ども達を乗せたおさる電車が走ってました。電車の先頭には本物のさるが乗ってることもありました。けっして、さると目と目を合わせてはいけないとか さるに触るなとか注意も大人からありました。子ども達には大人気でした。私も大好きでした。
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
詳細を見る陸橋や地下道ができる前はながーい踏切でした。 宮内駅行きのバスも通っていました。 宮内小学校に通うとき踏切番のおじさんに「おはようございます」って挨拶してた。 蒸気機関車も走ってました。
東坂之上にあった映画館とゲーセンとレストランなんかがあったビル。中学の時ランボーを一人で見に行ったっけ。日活の前を通る時、目のやりばに困ったよなー。ゲーセンはおっかないお兄さん方がいっぱいいたし。今、思い出した!もっと昔はスキッドカーっての車に乗ってぶつけるやつがあったような気が。どなたか覚えてる方いませんか?
「寿司にお弁当ぉ〜」「お弁当にお寿司ぃ〜」って、駅ホームに鳴り響いてました。 初老のおじさん、おばさんのお二人が駅弁売り箱首に下げ、ホームを歩きながらの立売り。 とても響く声でした。いつの間にか見かけなくなりましたね。
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
詳細を見るご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (5)
殿町踏切の脇にある小さな建物は、踏切番の小屋ですよね。 交通量が多い踏切で、車や人が取り残されないように遮断機が降りるのをコントロールしていたと思います。
殿町踏切にあった小屋は、現在、実家の物置になっています。祖父が国鉄職員だったため、踏切小屋が廃止になったときに譲り受けたそうです。
袋町の踏み切り。ここを通って川崎小近くの栖吉川によく行った。丸い黒いハンドルをクルクル回して遮断機を上げ下ろししてたんではなかったろうか。
小屋をのぞくと、火鉢に大きなヤカンがのっており、白い蒸気を吹き上げていたっけ。踏切り番のおじさんは、いつも(?)お茶を啜っていたもんだ。こんな素敵な仕事はない、僕も大きくなったら踏切り番になりたいと心底思ったもんだ。
宮内の開かずの踏切にも踏切り番のおじさんがいらっしゃいました。 日立のテレビのポンパ号?蒸気機関車も走っていました。