この場所の思い出
昔々、東北中生のデートコースだったところ(^。^) 私は、いつも『付き添い』でした(泣)
昔々、東北中生のデートコースだったところ(^。^) 私は、いつも『付き添い』でした(泣)
1 セッションにつき 1 票まで投票できます。
今から17年前くらいに前に、よく通いました。長岡には昭和57年から約10年ほどいまして、今は東京で生活しています。 当時私は飲み屋で仕事をしており、客から(女性)逆ナンパされて、紙切れをもらい見たら(つぼ八で待ってます)と書いてありました。私は仕事が終わってから、つぼ八に行くとその女性が飲んで待ってました。その後その女性と私は結婚を致しまして、現在は16歳になる娘もおります。私にとって長岡は第二のふるさとであり、決して忘れることの出来ない色々な想いでがあります。ところでつぼ八ってまだありますか??
笹崎のマスカレード、よくランチしに行きました。プレートランチでしたよね。 とても美味しく、おしゃれな店内で、赤いソファーが好きでした。 某保育園の先生とお付き合いするかしないかみたいな微妙な関係でデートしたのが一番の思い出。先生の誕生日プレゼントに、マスカレードで食事して、シャネルの「クリスタル」をプレゼントした記憶があります。 殿町にもありましたね。 殿町で「赤ちょうちん」の2階でまずアルコールと食事で準備して、大手通りを何周か周り、声をかけたりして「マスカレード」に行くか、「スタージュス」(殿町の方の)に行くのが定番でした。 成果がない場合は、そのまま打ちひしがれ、「どさん子」の「カレーラーメン」を食べて解散、成果があった場合も「カレーラーメン」を食べ、明日のドライブの予定を立てるという、ある意味「アメリカグラフティ」みたいな、田舎の青春時代を過ごしていました。 もう東京にいる年月の方が長くなってしまいましたが、長岡の青春時代は楽しかったです。
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
ひっそりと奥にエロゲーがあったような 2008年にあった場所通ったらなくなってました 高校からの帰り道によく寄ってました
学生の頃バイト先のオジジに連れられてよく行きました。バイト辞めてからも自力でポツリポツリと行きました。学生終えた時拙い学位論文のコピーをもって行きました。紛らわしいですがサントリー館の対角線の方向です。40年位前には閉店したのでは。小柄なママさんの上品でにこやかな小さい顔、温厚そうなひょっとしたらヤバそうな釣り好きマスターの顔、どちらも良く覚えてます。当時からすでに土地の関係(?)でお住まいの悠久山の方に引っ越すようなことを仰っていたような?そしてひっそり閉店し、いつしか建物も無くなり駐車場となりました。自宅(?)の電話番号が控えてありますが、かける勇気はありません。
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
CD全盛期にレコードの針とかを売っていたマニアックな店。 私は良く知りませんが、長岡では、かなりの老舗だったんでしょうか? 他の店では売切れてるような人気のCDとかが、普通に売っているような事もあり、結構お世話になりました。
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
半端モンがボンタン買う店。 中学のときは 「池津屋に行くと、○○さんに、覚張の脇に連れ込まれて金とられるぞ」 という噂を真に受けて、こっそりココで、ボタンの裏の「留め具みたいなモノ」(正式名称忘れました)とかを買ったりしてました。 不良ツールの販売店の割りに、店員さんが妙にスマイルで、ブティック並に接客が良かったのを記憶してます。
プラモだけじゃなく、ボードゲームやテーブルトークRPGなどのマニアックな商材を揃えており、なぜか本店と差別化が図られていた。 ここで買った一番の思い出の品は、100面体のサイコロ・・・・。 結局何の役にも立たないまま、紛失。
35年ぐらい前になりますが、川崎の食堂?だった気がします。かなり小さい頃なので記憶が曖昧ですが…。ラーメンライスだかラーメンセットだか、父がいつも頼んでました。まだあるのかな?
昭和40年までいた長岡でよく行ってた。毎日湯?という名だったろうか。袋町の横の小路にあった銭湯。前に稲荷神社があって春秋に祭礼の店が並んだ。小さな庭の池に鯉がいたかな。今どうなったろうか。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
町々に子供がいっぱいだった頃。どこの町にもみんなが集まって遊ぶ場所が自然にできていた。女の子はパンツ丸出しでゴム跳び、男子はチャンバラと・・・・
コメント一覧 (9)
であい橋
木でできた橋だったころ「長陵」の煉瓦煙突と相まって冬の時期は、さだまさしの歌詞に出てくる「橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突」の風景に思へ、なんとも情緒がありました。
今は木じゃないんですか? 大好きだった男の子を一番最後に身近で見たのがこの橋近辺でした。 思い出の橋です。
でわいばしだった気が
今から20年ほど前、長商生だった頃、通学の自転車で、バイパスの勾配がきつくてこちらの橋を渡っていたのを覚えています。栖吉川と福島江の交差地点で、栖吉川サイフォン。川の下を川がくぐるという面白いスポットでした。小学3年のころに「長岡のあゆみ」という社会科の資料集でも紹介されていて、懐かしい思いでいっぱいです。福島江は満水時は怖かったですね…。
福島江サイホンができる前は福島江は栖吉川へ合流し、 用水を栖吉川へ注水していました。 その合流地点、福島江と栖吉川が出会う場所がここ だったのです。橋の名前として現在に残っていること に歴史やロマンを感じます。 以前から、何で「であい橋」なのか不思議に思ってい ました。見落としてしまいそうな古い橋ですが、歴史 ストーリーを知ると素敵な橋に感じます。
中学生の昭和34年頃かな川崎神社の隣にあった池に夜錦鯉を釣りに行き その池の親爺に見つかり出会い橋までノンストップで逃げたが相棒が捕まり後で二人で謝りに行きました
東北中への通学路でしたが途中学校の側に引っ越したため忘れていました木造の欄干の低い橋でしたね 今度の同窓会の帰りに寄ってみたいと思います
中学のときあの橋からまっさかさまに落ちたやつがいて、けっこうな高さなのによく平気だと思った。木の橋の頃。 同窓会で落ちた人にあったら、皆がその話をするといっていた、そりゃそうでしょ。