この場所の思い出
個人電気店全盛の頃あったオーディオマニアの店。何十万円。何百万円の単品コンポを取り扱う。マイクロ精巧の糸ドライブレコードプレーヤーなんてあった。JBLのスピーカーに憧れた。TEAC、アカイ、ナカミチなんてカセットデッキが流行。CDプレーヤー誕生の頃16?25万円もした。宮内へ移転。AVLに分裂。しかしミニコン・携帯・i-Podと、音が鳴れば良しの流れに勝てず姿を消す。若者はステレオを知らず。薄っぺらな音場だけの多CHサラウンドが持てはやされ、実体に近い音像や音響は衰退した。
個人電気店全盛の頃あったオーディオマニアの店。何十万円。何百万円の単品コンポを取り扱う。マイクロ精巧の糸ドライブレコードプレーヤーなんてあった。JBLのスピーカーに憧れた。TEAC、アカイ、ナカミチなんてカセットデッキが流行。CDプレーヤー誕生の頃16?25万円もした。宮内へ移転。AVLに分裂。しかしミニコン・携帯・i-Podと、音が鳴れば良しの流れに勝てず姿を消す。若者はステレオを知らず。薄っぺらな音場だけの多CHサラウンドが持てはやされ、実体に近い音像や音響は衰退した。
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1980年代毎日店に行っていました。新製品が出ると貸出して頂きました。沢山買わせて頂きました。社長自宅にも招待されました。「長岡オーディオ」手書き書体のウチワまだ自宅にあります。
長岡駅南口からまっすぐ大手高校に向かうと大通りのぶつかるところにあったCD店です。御夫婦で経営されていて,おそらくここ15年くらいで無くなったのではないでしょうか?長岡を離れた私には,気さくなお二人の姿が目に浮かびます。お元気でしょうか?
ガラス張りの中のDJに、メッセージ、リクエスト曲を紙に書いて、投稿すると、曲をかけてくれた。お酒も飲めるパブでした。後にも先にもこういうスタイルの店にはお目にかかってません。
昔、長崎屋7Fのゲームセンター入口脇と、丸専1Fの正面入口の奥にジュークボックスというお金を入れてレコードを聴くことのできる機械ありましたよねー。当時小学1年生の私は横浜銀蝿のツッパリハイスクールロックンロールなんて曲を親にせびってよく流してもらった記憶があります。音量も結構大きく目立った記憶が。
駅前のカラオケ屋 安くてよく行ってた
20年ほど前に長岡に勤務していたのですが,駅周辺での飲み会の1次会のあと2次会でこの店に行きました。確か,当時,長崎屋の向かい側で2階に上がっていくところでした。そこでカラオケをすると何とその歌声が外に聞こえるのです。お客が歌う声が外に流れるようなお店は他には無いと思います。どなたかこの店の名前と今,そうなっているのか知りませんか?
音楽の相談室、ツモリレコード。中越地震後なくなってしまったのが残念です。長岡のクラシックファン(聞く側も演奏する側も)を支えてくださった大事なお店でした。 ちなみに、「音楽の相談室のつもり」というジョークをとある有名指揮者(TSさん)が飛ばしましたが、心からは笑うことが出来なかった私です。
今は無き長崎屋の最上階。 直通エレベータがあって、そこから直に上れた。 レーンは、普通のボウリング場よりも明らかに短く、さらに微妙に「かしがって」いて、球がナチュラルに変化するという、非常にクセのあるボウリングが楽しめる場所でした。 あの頃は、スコアはすべて手書き。 それと、これはうろ覚えですが「パーフェクト賞は、オロナミンC一年分」とかいう横断幕がデカデカと飾られてたような覚えが・・・
CD全盛期にレコードの針とかを売っていたマニアックな店。 私は良く知りませんが、長岡では、かなりの老舗だったんでしょうか? 他の店では売切れてるような人気のCDとかが、普通に売っているような事もあり、結構お世話になりました。
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
半端モンがボンタン買う店。 中学のときは 「池津屋に行くと、○○さんに、覚張の脇に連れ込まれて金とられるぞ」 という噂を真に受けて、こっそりココで、ボタンの裏の「留め具みたいなモノ」(正式名称忘れました)とかを買ったりしてました。 不良ツールの販売店の割りに、店員さんが妙にスマイルで、ブティック並に接客が良かったのを記憶してます。
プラモだけじゃなく、ボードゲームやテーブルトークRPGなどのマニアックな商材を揃えており、なぜか本店と差別化が図られていた。 ここで買った一番の思い出の品は、100面体のサイコロ・・・・。 結局何の役にも立たないまま、紛失。
いつの間にかなくなっていだけど大手通りの端っこにあった今よりもっと大きかった(ハズ)看板。 長岡駅から見えるその看板は,夜にはビカビカと光り輝いていてちょっとしたシンボルでした。 実家から本家(?)吉乃川の看板を毎日みながら育ってきた自分には新幹線で帰省の度に帰ってきたと感じるものでした。
皆さんが長岡で美味しいと思うラーメン屋さんはどこでしょうか?青島食堂は定番ですが、わたしはここもお薦めです!このお店との出会いは今から、25年ほど前でしょうか、美味しくて今でも帰省した時は食べに行っています。月日は経っていますが、値上げもラーメンが550円⇒600円と数年前にあったくらいしか覚えがありません。店主のおじちゃんと女性の店員さん2人くらいで切り盛りしていたような。おじちゃんの「はい、どうものぉ。ありがとうございますぅ。」のイントネーションが独特で、良く覚えています。皆さんは何かエピソードはありませんか?
先頃、惜しまれつつ閉店した中華そば屋さん。店主の味に対するこだわりは有名でした。幼き頃の休日、出前を取ってもらうのが楽しみでしたね。
あの頃の長岡におけるセレブな店といえばココ。 店名、外観、そして高いのに小さなケーキ。。。 お誕生ケーキが、バタークリームだった我が家から見ればまさに別世界。 結局大人になってもそのイメージのままで、敷居の高いお店でした。
とうとう50倍のカレーは、たべれなかった。。テーブルに置いてあるお客の意見ノートみたいなのは、いつもカレーが届く間に、楽しんで読んで気がします。3年前に、友達のアメリカ人を連れてきて中田に行ったけど、さくさくっと、50倍のカレー食べていたときは、辛さが落ちたのかなと、思いました。
コメント一覧 (17)
小学生のころステレオがほしくて毎週通っていました。大人のお店だったなあ。
自分も良く通いました。買えないけど(笑)店員の人とお客さんが常にマニアックな談義してて中に入っても浮いてました。店内を見渡して出てくるだけの変なガキだと思われてたろうなぁ。だけど破魔翔さんが仰られるとおり今のユニットは音が鳴ってるだけですね。ホントそう思います。車には純正ではありますがマッキントッシュが入ってますがこちらはまだマシです。
この店のせいで変な知識がついて、自分の部屋や車のオーディオにメチャクチャ金掛けました。俺はやっぱりi-Podの音はこの先もダメだと思います。
昔コンポ買換えで何百万円も使っちゃって少し勿体無かったかな?と今では笑話。でもパチンコで摩るよりはマシかな。長男が親の影響で、高専合格祝に普通のステレオが欲しいというので、色んな電気店を廻って、パイオニアのDVDプレーヤー・マランツのアンプ・タンノイのスピーカーの組合せ(10万円以下)で入門用の納得出来る音が作れました。長岡にオーディオ店があればな?。今はラオックスに期待。
中〜高校にかけて通いました。小遣いで買えるカセット!とかレコードクリーナー!とかしか買いませんでした。カタログも死ぬほどもらいました。宮内に移ってからCDプレーヤーとかミニコンポを買いました。πの試聴会とかにも行きました。コーヒー飲みたかった!!
1970〜77年、小生が訪れていたこの頃はここ。開店は1970年か71年か?
1970〜77年、小生も何度か訪れました。開店は1970年か71年か? 小さな店舗でしたが、なかなかの展示群でした。憧れのコンポは1974年夏休みの東京のオーディオ店でのアルバイト代を投入し、東京で購入。申し訳ありませんでした。今は無くなったのですか?
死んだ父がここのお店の人と仲良しでめっちゃ色々なもの買わされてました(爆)30数年前で100万位のJBLのスピーカ買うって・・・・どんだけローン組んだんでしょう(汗今でも本体は残っていますが残された家族にはありがたみがわかってないので物置状態です(汗 他にも色々あったオーディオセットもなんかしらん高そうなものだったらしいです。このお店の名前を聞くと一瞬顔が引き攣りますw
ヘッドフォンを買いに行ったことがありましが、それほど高価(5000円くらい)でもないのに、ちゃんと視聴させてくれたのを憶えています。長岡のひとつの文化的な財産だったと思います。
中学の頃、お店によく通いました。積んであるスピーカの中でもエージングの効いた1000Mの音が好きでした。セプター10の重低音も魅力てきでした。当時はどちらも購入できませんでしたが、今は1000Mを保管しています。メインは1000X。
1977年から3年ほど、よく通っていました。楽しく懐かしい思い出です。買ったものはsaecのアーム2本、we-308new,we506-30,yamahaのmcヘッドアンプha-1,DENONのカートリッジDL-305ほかにレコードも5枚組を5セット同時に、安く取り寄せて頂いたものです。それらは今でも手元にあり愛用中です。何より店主・店員の方、お客が仲良くしていました。いまどきそういった店はないようです。
JBLの4311A(アルニコ)がまわりまわって今私の手元に。 店に行ってた頃は欲しくても買えなかったことを覚えていますよ。
皆さまの記憶の中に父の店が刻まれていて大変嬉しく存じます。スレ主の方、コメントくださった方々に感謝申し上げます。父は糸魚川のラジオ店に生まれたこともあり、慶応の経済学部卒業と同時に長岡オーディオを開店させました。当時の新潟県を調査した結果、最もライバル店が少ないとの判断のもとに長岡に出店したと聞いております。オーディオについてはかなりの知識と耳を持っていたようで、当時の音楽雑誌(Sound Life?等)から執筆依頼を時折受け、寄稿もしておりました。坂之上店が好調な頃にはLove&Soundという音楽喫茶も営んでいた時期もあったかと存じます(※小生が小学生の頃で記憶が少し曖昧です)。その後、青果店主からの誘いで宮内に並んで出店しましたが、そちらの倒産のあおりを受け、その後は近所に単独で店舗を構えました。父は、多い日には一晩で本を十冊読むほどの読書家であり、勉強家でもありました。若い頃は完全なるマニア指向でしたが、宮内出店の頃には「利益を減じて多売することで、多くのお客様に安く買っていただける店にするのだ」と申して方針を転換。メーカーと闘いながら、当時では珍しかったディスカウント販売を始めました。お店でコーヒーを配る習慣は初出店当初からの伝統で、店員へのコミュニケーションの機会をコーヒーの受け渡しを通してお客様に提供するのが目的だったそうです。父の店は億単位の売上をあげた年もありましたが、倒産した他社への保証に加え、祖父が始めた糸魚川の家電店の業績悪化や経営方針の違いもあり、三十年ほど前に経営から身を引き、ほどなくして長岡オーディオも閉店いたしました。その後、売上高十億円規模の食品チェーン店に統括マネージャーとして招聘されて頭角を現し、オーナーの希望で知事選に出馬したこともあったようです。そんな父は数年前に肺がんで他界いたしました。ショートホープやピースを好み、毎日二箱以上吸う愛煙家でしたから無理ありません。今頃は、先に逝かれたお客様方と共に、こよなく愛した煙草とコーヒー、そしてオーディオに囲まれた生活をあの世で送っているのではないでしょうか。生前お世話になりましたお客様はじめ関係者の方々に、この場をお借りし、父に代わって御礼申し上げます。以上、お礼かたがたご報告まで。
稼いだバイト代で当時はやったオンキョーのスピーカーを買いました。家で聞くとお店で聞いた音と違っていました。カートリッジからアンプもそれなりにバランスよく揃えないと、思うような音は得られないと悟りました。これがオーディオの「罠」なんだな、と。皆さんがお金をつぎ込むわけです、特に凝り性の人たちは。 でも、長岡オーディオさんには楽しい時期を過ごさせていただきました。社長さんに感謝です。そして息子さんも良く投稿してくれましたね。なつかしさがこみ上げてきました。ありがとうございました。
1973年から1978年までの5年間だけ長岡市民でした。貧乏学生でしたので製品は買えませんでしたが、よく通いました。結局、オーディオ関連で40年以上飯を食わせてもらいました。今は新潟にはいませんが、とても懐かしい思い出です。
1977年前後にヤマハオーディオの営業として長岡オーディオさんを担当させていただいておりました。その後お店はどうなっているのかと気になっていましたが、北村社長お亡くなりになってしまったのですね、遅ればせながら謹んでお悔やみ申し上げます。 担当していたころは店内で視聴会やらなんやら仕事を抜きでも楽しくお世話になっていました。たまに麻雀などもやらせていただき、とてもよく遊んでもらいましたこと、とても懐かしく思います。結婚式にはとても素敵な祝電もいただき感動したことをいまだに思い出します。 こけしのようなかわいい、物静かな奥様はお元気なのでしょうか、とても懐かしいです。
ふと思い立って検索したら、このページに着きました。 '75年小学生の頃買えないくせに通ったし、視聴会もオマセで参加したことも有りました(アイーダのデジタル録音盤大砲の音がスッゴいとか?)。 唯一展示品のパイオニアのS-180Aを母親にせがみ、一緒に買いに行ったかな。(笑) 奥の試聴スペースの雛壇から降ろして頂く時が至福の瞬間でした。 それと奥から美しい女性が『こんにちは、』って言うから振り返ったら誰も居ない。 それは4343?から聴こえたNHKfmの女性アナの声だった。この時の生々しさの感動がオーディオの良い音の、今でも私の基準です。ありがとうございました。