この場所の思い出
長岡市のスポットではありませんが、柏崎の一刻も早い復興を願って投稿致します。海がなかった旧長岡。海の思い出といえば・・・自分にとってはここです。
長岡市のスポットではありませんが、柏崎の一刻も早い復興を願って投稿致します。海がなかった旧長岡。海の思い出といえば・・・自分にとってはここです。
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懐かしい長岡ではありませんが、関東に出てきた長岡人には懐かしむスポットがあります。台東区浅草橋にある長岡の郷土料理の居酒屋です。おかちょ〜とよみます。東京にありながら(そいが〜て だっけさ〜)とリトルナガオカと化してます。のっぺ最高です。スレ違いすんません。
近年、めっきり少なくなってしまった露店。 昔は、平潟神社を中心として露店が広がり、道路を挟んだ殿町方面に金魚エリア、神社の裏手には盆栽エリアなどもあり全部見るのも大変だった思い出があるのですが… あの頃のお祭が懐かしいです。
東口から福島江を渡った右にあったと思うけど、ちょっと高級レストラン風(当時はそう思った)で、結局一回も行ったこと無い気が。まだあるのかな?
大積から柏崎に行く国道沿いに、丸鯉という店名で、いかにもという感じの古い食堂があったのですが、この前久しぶりに通ったら無くなっていました。もう10年以上前に仕事で柏崎に行く途中で何度か食事をした覚えがあります。2、3年前までは営業してたと思うのですが、どこかに移転したのでしょうか?
確か喜多町だったと・・・?長岡を離れて15年!まだ、そこにあるのかな?焼きそばで(正式な名前が分からない)誰か教えて〜!ソフトもおいしかったですよ
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (11)
お疲れ様です。 最近、越前浜〜鯨波を運転するのが休日の定番となっています。 んで、昨日も行ってみたのですが… 旧和島村辺りから道路にヒビが目立ち始め、石地海岸の少し先で通行止め。マンホールが飛び出ていた個所もありました。 結局、少し引き返して西山インターから長岡に抜けて帰宅したのですが、インター手前の交差点付近で一軒家が倒壊していました。 地震はもう懲り懲りです。
高校生のころ、付き合ったばかりの彼女と夕日を見ながら歩いてデートしていた海岸線。。海の家。もちろん家族でも何回も行った海水浴。海の家も含め新潟の文化だと考えています。まず、地元で盛り上げて早い復興をして、今年は無理でも来年は海水浴客でいっぱいの海を見たいです。鯨波の民宿・西海岸様、ご無事でしょうか?
やはり被害はひどいんですね。鯨波や石地は子供の頃の夏休みの良い思い出です。海が近づいてくると潮のにおいがしてきてわくわくしました。石地は中学校の臨海学校があり石地中学校で1泊していました。中学校は無事でしょうか。
こんにちは。 確か小学校の時夏休みにいつも鯨波へ行っていました。 今年は、(快速)マリーンブルーくじらなみ号は地震の影響で運転取りやめになりました。 柏崎に住んでいる皆さん一日も早く復興を願っています。 ガンバレ柏崎!!
鯨波って、やけにでかい洞窟?洞穴?ありませんでしたっけ?記憶違いかな、ありましたよねぇ。
ありましたよ!洞窟・・・数年前、子どもを連れて20年ぶりに行きましたよ、鯨波。洞窟は、今もあります。昔は確か歩いてでもいけたはずでしたが、侵食されて?砂浜が続いていません。(記憶ちがい?)浜辺も狭く感じるのは幼い頃と目の高さが違うから? 懐かしいけど、少しずつ変わっている鯨波です。地震の後は行っていないので、今年はぜひ行ってみたいです。
5月連休帰省時のドライブコースは鯨波海岸線から寺泊が定番でした。あの頃(S54)、途中必ず寄った魚市場が非常に印象的で、カニ、甘エビを沢山買い込んで実家で皆で食べたことが遠い昔を想い浮かべさせます。
小学校の夏休みの臨海学校が鯨波の浪速屋旅館(漢字はこれでいいのなか?)。新潟地震で砂浜の状況が変わったと云うことで翌年から林間学校になってしまった。萩原朔太郎に海水旅館という詩がある。これは鯨波での作。海水旅館とは浪速屋旅館のこととと信じているのだが・・・。
父、祖父の実家が柏崎にある関係で鯨波海岸は小さいころから毎年のように訪れていました。何もかも懐かしいところです。(群馬県在住)
幼いころ兄に連れられてよく行きました。そのころは、蒸気機関車でした。暑いので窓開けていると、石炭の燃えカスが吹き込んできました。目が痛いので、水中眼鏡をかけていました。
昭和50年頃、町内の子供会で行った記憶があります。