この場所の思い出
冬はスキーロッジ、春はお花見、洋風カツドンが名物でしたね。
冬はスキーロッジ、春はお花見、洋風カツドンが名物でしたね。
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今季の豪雪・極寒には、「スキル 耐雪」を標準装備している 我々長岡人でも うんざりしてしまったかたも多いのでは? どうぞ大変だった思いを、ここへ書いてください。 数年後、そのコメントが意味をもつやもしれません。
昭和45.46年ころ少しアルバイトでお世話になリました。小出に本店がありました、一階がグランドミュージックバ−「リド」二階が喫茶店「蒔」でした。冬になると支店長岡東坂之上の肉屋さんの二階の蒔に電車で通いました、大雪の年でア−ケイドの一斉雪おろしがあり自衛隊がホイールローダーで排雪しました。社長さん、ママさん、田辺さん、佐々木さん、桜井さん、あとすいません名前が思い出せません、おねぇ様方!社員旅行、熱海、飛行機で大島迄連れてもらって!懐かしい最高の青春の思い出です。
最近は縮小傾向にある「さいのかみ」。 冬に行う、この、儀式。 思い出はありますか?
雪国長岡にはスキー場があり、我々元学童はスキーが必修でした。 ゲレンデでかかっていたら嬉しいスキー場ソング(主にウィンターソング) は何ですか?
今年は豪雪です。思い出すのは昭和38年の豪雪。当時小学3年生でした。電線を足元に見ながらの通学、雁木の中は昼でも真っ暗闇、家は2回からの出入り。新発田の自衛隊が火炎放射器で消雪を試みたりして、子どもにとっては楽しい毎日でしたね。大人たちは大変だったけれど。
ここはピーコックとかと違って人気ではなかったですが、単品でジャンボフランクがあり、今どきのとは違ってかなり肉っぽい感じがして美味かった。
中学のとき高校受験直前、友人に「あの怪しいお店行かない」と誘われ入った。モーニングがおいしかった記憶が。怪しさ=大人の香りだったあのころ…。
毎年お花見シーズンになると賑わうこのスポット。昔は手漕ぎボートもあり、近くに釣堀もありました。池のすぐそばに『湖畔亭』という喫茶店があり、生まれて初めて外食でミートソーススパなるものを食べました。今でも実家に帰ったときに愛犬と散歩しますが、シーズンじゃない時は寧ろ不気味ささえかもし出してるこの場所。昔はにぎやかだったのになぁ...ここはまさに80年代全盛だった気がします。自分は今でも好きなスポットです!
今でも、Googleに「長岡現代美術館」で 約 147 件がヒットします。それプラス「大光コレクション」では、当時の出来事がおぼろげながら呼び起こされます。 私は30年ほど前、高校時代に通い、マックス・エルンストの絵(墓碑銘?)が印象的でした。心の友も連れて行きました。当時、長岡の底力を見る思いでしたが、現実の底力は弱かった??
高校一年まで長岡駅から悠久山まで栃鉄で通学しました。とっ鉄のおじさんたちも気さくで 蒼紫の歩道から走りながら(おじさーん、待ってぇ)と手をふると (早くこいてぇ)と電車の発車を待ってくれたものです。暑い夏は走行中にドアを開けてても 注意された記憶がありません。古き良き時代でした。二年になる頃に廃止となり残念でした。もう一度乗ってみたい電車です。
はるか昔、昭和36年頃のことです。お花見シーズンには悠久山には子ども達を乗せたおさる電車が走ってました。電車の先頭には本物のさるが乗ってることもありました。けっして、さると目と目を合わせてはいけないとか さるに触るなとか注意も大人からありました。子ども達には大人気でした。私も大好きでした。
35年ぐらい前になりますが、川崎の食堂?だった気がします。かなり小さい頃なので記憶が曖昧ですが…。ラーメンライスだかラーメンセットだか、父がいつも頼んでました。まだあるのかな?
昔々、東北中生のデートコースだったところ(^。^) 私は、いつも『付き添い』でした(泣)
オシャレはよくわかんねぇけど、とりあえず「かあちゃんが買ってきた服だけは着たくねぇ!」 という、ちょっとシャレっ気の出てきた、小生意気な男子中学生が服を買いに行く店。 ちなみに、今はイーオンかなんかになってます。 わたくしも服買ってました・・・。
すずらん通りにあったころ お金もないのによく行きました。 眺めているだけで楽しかった。 ステレオを見ていつか買って思い切り聞くぞって思ってました。
コメント一覧 (9)
中学生当時(S44)毎週、悠久山スキー場に遊びに行っていました。リフト登場から裏山に向かい、下り道を池方向に滑って行く途中に洒落たロッジ風の建物があり、そこでよく暖をとりました。ロッジ名は知りませんが、ジュークボックスが置かれていて、ローリングストーンズの「テルミー」をいつも聞いていました。ここがニューパーラーでしょうか?
なつかしいねえ。昭和30年代、父が時々連れて行ってくれた。クリームソーダがおいしかったな。夜になると誘蛾灯の青い光にお山の虫たちがいっぱい集まってた。遠い昔の思い出。なつかしいなあ。
確かこの辺にあったような気がします。今も山の小道を少し登ると建物の土台部分が残っている。
おおおおお!!30年くらい前ガキの頃に遊んだ廃虚はニューパーラーというモノだったんですか!遊びはじめの頃は一部屋根もあったけれど何年かするうちに屋根も朽ちていました。奥の山肌に穴をあけて貯蔵庫にしていたような跡がありました。東に少し降りた所に円形の石段になっている小さなミュージアム風の場所がありましたが、それもニューパーラー絡みだったのでしょうか?
確かにgoichiさんが地図に記入された場所と思います。昭和30年代後半の頃、東京から従姉妹たちがやってきて、夜ここで食事をしたことがあったな。小さい子供ながら、内心、「長岡にはこんな素敵なところがあるんだぞ」と妙に東京に対抗心を抱いていたことを思い出します。haisaさんが書いているように山小屋風の洒落た建物でした。いったい誰が経営していたのでしょうか。
S30年代 長岡ではコジャレた洋風レストラン、「殿町の小松パーラ」の姉妹店だったかな?松山からちょっと下ったとこにありました、今でもレンガの後があります
悠久山スキー場にニューパーラーというゲレンデがありました。 「今日はニューパーラーで滑ろう」と言った覚えがあります。
ニューパーラー、昭和30年代の子供のころの思い出の場所です。 建物のそばにトーテムポール(インディアンが集落のそばに立てる柱状の彫刻)があったはずです。 休日に家族で悠久山へ遊びに行き、洋風カツ丼を食べるのが、我が家の習慣でした。 父母兄弟との思い出の場所です。 小松パーラーの姉妹店です。 10年くらい前、70半ばだった母を連れて小松パーラーへ行き、シェフに確認しました。 「あの時と同じ味です!」と思いっきり叫んできました。
悠久山スキー場はリフト一機のみでしたが、すべる場所はいろいろあったように思います。 その中に、ニューパーラーと呼ばれるところがありました。友達と「今日はニューパーラーで滑ろう」と言って遊んだ覚えがあります。 またスキーロッジに、スキーを預けておくことができました。