この場所の思い出
戦後すぐ、家庭に風呂が不足している時代に大和湯は始まり、昭和62年創業者平井久右衛門が亡くなるまでの約40年間の歴史だが、時代の変化に対応しながら最盛期は二階に家族団欒で入れる『家族風呂』を開設した。当時としては画期的で、家庭の延長として広く利用されていた。木造時代と鉄筋コンクリト造時代があり、オゾン風呂、コーヒー牛乳が懐かしい。
戦後すぐ、家庭に風呂が不足している時代に大和湯は始まり、昭和62年創業者平井久右衛門が亡くなるまでの約40年間の歴史だが、時代の変化に対応しながら最盛期は二階に家族団欒で入れる『家族風呂』を開設した。当時としては画期的で、家庭の延長として広く利用されていた。木造時代と鉄筋コンクリト造時代があり、オゾン風呂、コーヒー牛乳が懐かしい。
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確かR351立川病院のそばに「ファミリー」(うろ覚え)とかいう寂れたパチンコ屋があったような。時代錯誤な感じの古めかしいパチンコ屋で、いつか入ってみようと思っているうちになくなってしまいました。
長岡市の大積辺りで、お湯の色が、コーヒーの色をしている通称「コーヒー風呂」と呼ばれていた銭湯(?)がありました。私もよく分かりませんが、親族の経営だったらしく、よく親に連れて行って貰いました。懐かしいです。
昭和44年から47年まで長岡にいましたが、当時よく通った喫茶店です。たしか池津屋の角から殿町方向に50m位行った所の2階だったと思います。コーヒーにゆで卵とホットドッグが付くモーニングサービスが120円くらいだったように記憶しています。今はもうないと思いますが・・・。
今もあるみたいですけど、数年前まではとおちゃんラーメン寄りのうす暗い店構えでいつもおばちゃんがコーヒー入れてくれたうっど。学校サボっては煙草ふかして悪友と語り合った思い出の場所。たった10年、されど10年。高校生なのに常連過ぎてツケでコーヒー飲んでました。
母方の祖母の実家です。 戦前からあり、表は魚屋、奥は割烹になっており、二階建てで100畳の和室がありました。戦前は東京からの学童疎開を受け入れていたと、関原町史に書いてあります。
無くってから何年くらいたったでしょうか? 結構美味いものがありました。 メニュー豊富で、値段も安く、家族連れには最適の店でした。
ピーコックと人気は二分していましたが、ソフトクリームのバニラ感はこちらの方が強く、私はファンでした。 高校時代にバス代をケチって、部活帰りに食べていました。
母親に外食に連れていってもらった時に当時食べたことがなかったナポリタンを頼んだら、味がいまいちだったのかテーブルにあったタバスコをケチャップと間違えてたっぷりかけて食べて泣いた記憶がある
長崎屋ピーコックの話題が多いですが、自分的には3F階段横のオレンジジュースの自販機が好きでした。20円くらいでドーム型のタンクの中をジュースが噴水のように循環してました。味は確かにチープん感じですが、とにかく冷えてて安くて子供が飲むにはベストだったような。
子供の頃、立ち読みしにかよってました。 目黒書店の向かい側で、記憶もごちゃ混ぜになってる。 たしか向かって左から入ると漫画コーナーがあった。それだけしか思い出せないけど、よく通ったので懐かしいです。 なくなったと思ったら東中のそばに移転してて、今はもうない。 またどこかに移転したんだろうか?
その昔、がきんちょの私にとってお買い物が一大イベントだった頃、連れていってもらうことをいつも期待していました。お子様ランチからラーメンにパフェまで・・・なんでもおいしかったのは決して誇大記憶ではないと思います。
確か、こんな名前だった気がします。(本当はアルファベット表記) ヨーカドー立体駐車場と東北電力の間の道を長町方面に歩いていくと、オシャレ雑貨のお店がありました。90年代初めごろ、友達に教えてもらいよく行きました。それまで知らなかったインポートな雑貨がゆったりとしたお店に飾られていて、ただ眺めるだけに入店したこともありました。 今でもあるのでしょうか?
中華そば---なくなりつつあります。雪下ろしの昼に出前してもらうとうんまいです!!東神田「よしや」は健在ですが、なつかしの味で投稿です。小出の「小出食堂」、柏崎の「やぶそば」ともどもお勧めします。皆さんも応援してやってください。
私にとって切手商と言えば,これまでも出ていた,長崎屋に入っていたところなのですが,私の知る限りで,現在の河井継之介記念館の向かい側あたりに,古ぼけた切手商がありました。おじいさんみたいな方がやっておられましたが,私の中のイメージとして,こういうお店がまさに“切手商”なのでした。また,40年くらい前でしたが,大和があった時に,確か切手コーナーがありました。当時は私にとって長岡は大都会なのでした。
今もあるかどうか、長岡を離れて久しい私には分かりませんが、昭和30年代、長岡にあったお寿司屋さんです。「蛇の文」、「みよしの」、「若竹」、他にいくつかありましたが思い出せません。父に連れられて、カウンター席で緊張しながら海苔巻きをつまんでいたことが懐かしいです。小僧寿しなどのチェーン店がまだない時代。それぞれのお店の大将のカッコイイ姿が目に浮かびます。
三国街道ぞいの東坂之上町付近に30年くらい前にありました。ファーストフード店はあまりいったことなくて、お盆と入れ物を全部~ダストボックスにいれてしまい、後悔しました。食べたことなかったので、新鮮で美味しかったです。
コメント一覧 (8)
品田ミシン屋さんと矢島時計店(昔は北越銀行神田支店の建物があった)の角を柿川の方に入り右手に煙突のある建物があった。今は住まいだけが残り前面は駐車場になっている。
私は高校時代何度か入りました。昭和の終わりごろですね。当時知る限り最後の長岡の銭湯でしたね。ひょっとしたら中島の銭湯もまだあったかもしれませんが、宮内で下宿していた私にとっては気兼ねせずゆっくり入れるお風呂でした。当時は風呂上りに駅前にあったケンタッキーでポテトを買い自転車で食べながら帰るのが楽しみでした。
実は、平井さんがお亡くなりになった事故現場にちょうどいたのです。昭和62年、私が高校生で土曜の午後の昭和通り・・・。 母が平井さんと仲良かったので、急いで家に帰り母に伝えました。 両親が健在だったころ、一緒によく行ったものです。4、5歳。大きいお風呂は、本当に魅力でした。 長岡芸者のお姉さんやいろんな方に可愛がっていただきました。 スーパー銭湯が主流の時代、レトロな湯屋「大和湯」中島の「トキワ湯」思い出します。
わたしの町内ですわ^^ なつかしいいい^^ コーヒー牛乳うまかったて。。
このサイトに来てあまりに懐かしいことばかりで涙がちょちょぎれています。(死語) 昭和40年代前半,西神田の県営アパートに住んでいて,当時風呂がなかったもので,銭湯に行っていました。 こちらには,たまーに,お金があって裕福なとき,家族4人できてました。 超なつかしいです。
大和湯の末っ子と同級生でしたので開店前に広い脱衣場で卓球させてもらいました。彼はそのころからうまかった!!
村上茶舗 お茶さんなのかおもちゃ屋さんなのかおかしやさんなのか
あそこのじいさんが雪がスゴい時でも、大通りを自転車で渡ろうとしてたから前から危ないと言われてたんだよねー。轢いた人が可哀想ともいわれました。