この場所の思い出
「わんず」通じないんですね。少なくても長岡なら何処でも通ずると思っていたら何のこと?と言われるのです。神社の境内とかで土に小さな穴を見つけては細い枝なんかを差し込んで釣った。蝉の幼虫ですよ。宮内で生まれ育った私には「わんず」以外の名前はありません。他の地域では何と呼んでいたのでしょう?
「わんず」通じないんですね。少なくても長岡なら何処でも通ずると思っていたら何のこと?と言われるのです。神社の境内とかで土に小さな穴を見つけては細い枝なんかを差し込んで釣った。蝉の幼虫ですよ。宮内で生まれ育った私には「わんず」以外の名前はありません。他の地域では何と呼んでいたのでしょう?
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母が働いていて、よく食べに行ってました。アイスキャンディーもあって、おいしかったのを覚えています!
もう半世紀も昔の事ですが、「たるまんゆき」と呼ばれた頭のおかしなおばさんが川西地区を中心に徘徊していました。とくにお祭りなど人が大勢集まるところによく顔を出していました。おつむは弱いけど憎めない人だったようです。パッチをくれてやって子供達の歓心を買おうとしていました。(私ももらったことがあります)しばらく見ないなと思っていたら亡くなったという噂を聞き、子供ながらに悲しくなったのを覚えています。
昔、白アイスというカキ氷を食べたのですが今、長岡で白アイスをやっている店はありますか?。
悠久山通り、図書館を超え栖吉川にかかる橋(名前がわかりません)辺りから土手をつかってお化け屋敷をやっていました。土手は草が背丈くらいあって、各町内からお化けが思考をこらして土手に隠れてます。それが怖いのなんの!栖吉川には手すりのないオンボロ橋がかかっていてそこを渡り反対側の土手に渡ってすごい長い距離を行きます。 出だしから脅かされ、「 もう行けない! 」と言っても、後ろからお化けに追い立てられる、しかも草ボーボーの土手の上を!今ではぜつたいできない恐ろしいお化け屋敷でした。 一番怖かったのは、手すりのないオンボロ橋をわたると、橋の真ん中に「耳なし芳一」がいてそれを避けて通ると、後ろからお化けが全速力でおっかけてくるという(笑) しかも手すりのない木の橋で、下手したら川に落ちるかもしれない、今の世の中では考えられない催しでした。 体験された方いませんか?
以前は小さな石碑が一つポツンと申し訳なさそうに建っていただけだったのが、今回40年ぶりに訪れたらきれいに整理されている上に、記念館が隣接して建っている。長岡まつりの期間だけだと思うが、多くの来場者でごったがえしていた。「つぐのすけ」と思っていたら、いつのまにか「つぎのすけ」になっているけれど、本当にそうなの? 誰か教えて。
ポツンと一軒家見ていて、どの辺かな~と探していたら いこいの森が! 懐かしーい。小学生の頃、家族で行って飯盒炊飯してなんか食べたっけ。 遥か遠い昔の記憶がボンヤリと。皆さん行った記憶ありますかー?
太田川のそばにあったオモチャ屋。 今思うとなんと直球な店名…。 幼心におかしな名前だなぁと思っ ていました。 宮内,摂田屋,曲新町地区から 上組小に通っていたら知っている ハズ。
昭和60年位に長岡に住んでいた頃、栃尾の方に愛隣という怪しい赤いネオンの文字が浮かぶのを見たことがあります。 どのようなところか誰かご存知でしょうか?
ピーコックと人気は二分していましたが、ソフトクリームのバニラ感はこちらの方が強く、私はファンでした。 高校時代にバス代をケチって、部活帰りに食べていました。
母親に外食に連れていってもらった時に当時食べたことがなかったナポリタンを頼んだら、味がいまいちだったのかテーブルにあったタバスコをケチャップと間違えてたっぷりかけて食べて泣いた記憶がある
長崎屋ピーコックの話題が多いですが、自分的には3F階段横のオレンジジュースの自販機が好きでした。20円くらいでドーム型のタンクの中をジュースが噴水のように循環してました。味は確かにチープん感じですが、とにかく冷えてて安くて子供が飲むにはベストだったような。
子供の頃、立ち読みしにかよってました。 目黒書店の向かい側で、記憶もごちゃ混ぜになってる。 たしか向かって左から入ると漫画コーナーがあった。それだけしか思い出せないけど、よく通ったので懐かしいです。 なくなったと思ったら東中のそばに移転してて、今はもうない。 またどこかに移転したんだろうか?
その昔、がきんちょの私にとってお買い物が一大イベントだった頃、連れていってもらうことをいつも期待していました。お子様ランチからラーメンにパフェまで・・・なんでもおいしかったのは決して誇大記憶ではないと思います。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (26)
私は新町小出身ですが、 「わんざ」と言ってましたね〜 わんざ取りはある意味、夏の風物詩でした。
長町の私も「わんざ」とよんでました。東京では全く通じません。抜け殻の後に残った細い白い糸状の物、これをで蝉が身体を支え殻から脱皮するのですが、この糸を食べると体にいいという話が当時の子どもたちの間で信じられており、蝉の抜け殻を探しては食べたものです。今思えば、よくおなかをこわさなかったと呆れてしまいます。長岡の他地区の子どもたちも食べましたか?
食べられると言う噂は当時良く聞きました。食べてた方がいらっしたんですね。
わんず? もちろん知っていますとも! 赤城神社でとりまくり。 当然,宮内です。
うちは「わんざ」でした。 それにしても、食べるとは、、、すごいですね。
すいません、食ってました。割れた所から出てる、白くて繊維状のもの。朝のラジオ体操に行く前に、お寺に行っていっぱい集めてたっけなぁ。あ、呼び名はわんざでした。
川崎小出身です。「わんざ」でしたね。アブラゼミが多かったのですが、たまーにつくつくぼうしのわんざを見つけたときは結構嬉しかったものです。あと、東京に出てきて、「わんざ」が通じないことはなかなかカルチャーショックでした。
宮内ですけど「わんず」は中身入りです。抜け殻はそのまま「抜け殻」といってましたが・・・
「わんず」懐かしいです。ラジオ体操に早い目行き、新潟大学の構内でたくさんとりました。 関西でも、通じないと思います。確かめて見たいと思います。
生まれも育ちも川崎です・・・ 「わんざ」・・・中身入り 「からざ」・・・抜け殻 って言ってましたよ。
子どもの頃、年寄りはワンザといっていました。 BSNラジオで、新潟市のほうは「もず」新発田のほうは「もぞもぞ」と呼んでいたと言っていました。
たくさんのコメントうれしいです。調べてみたら「わんず」が生息していたのは宮内のさらにその一部だけの様です。なんとローカルな…そして今、私は県内の他市に住んでいますが小さな敷地に植わったモミの木に20数匹の「わんず」の抜け殻がしがみ付いています。
西神田お蔵小路では団塊世代が中心になって遊んでいました。私たちはワンザと言ってました。 今思うとむごいことをしたと思っていますが標本作りに随分採っていました。
東神田ですが、父もワンザといっていました。
私のところもワンザです。旧日赤病院の中庭で、いくらでも取れました。
表町小出身です。30年前はわんざと呼んでました。関原の友達は、"ごにょ"と呼んでました。
旧市内の友人は、 せみの抜け殻を「わんざ」 生きている幼虫のことを 「だいみょう」といっていました
表町小ですが確かわんざと呼んでいましたね
宮内小学校のプール脇にあった大きな柳の木の根元や高彦根神社でよく棒さして探してました。"わんず"
私、「ごにょ」って呼んでましたね。でも、カブトムシの幼虫をそう呼んでいたのかも?
渡里町では「わんざ」でした。 40年前、お寺で小さな穴を見つけては、水を入れて中にわんざがいるかどうかを確かめてから取っていました。懐かしいです。
夕方か早朝に地面から出てくるのでよく捕りにいってたな。 カーテンに登らせておくと朝までには羽化してたっけ。
魚沼市 ウチの辺りでは『わんざわんざ』と繰り返すのが正式。『わんざ』は略式。歴史が簡略化したのか?
わんざ でした。 よくとっては、網戸で羽化させていました。 きれいでしたね。
渡里町ですが「わんざ」と言っていました。 上田町の知り合いは「せみのぬけがら」といっていましたね。
コメ主上川西地区育ち 父神田地区出身 セミの幼虫(抜け殻も) ワンザ、ワンザラ カブトムシの幼虫 ゴト(祖母乙吉地区出身) と呼んでました。