この場所の思い出
見附市から休日に長岡に買い物に行くとたまに厚生会館付近に傷痍軍人の方々が白装束を着てアコーディオンなどの楽器を演奏して、通りがかりの人にお金を貰っていました。 母親に「ああいうふうになるな」と言われていた事を思い出しました。
見附市から休日に長岡に買い物に行くとたまに厚生会館付近に傷痍軍人の方々が白装束を着てアコーディオンなどの楽器を演奏して、通りがかりの人にお金を貰っていました。 母親に「ああいうふうになるな」と言われていた事を思い出しました。
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こんにちは。 長岡へいつも遊びに行っている時に確か東坂之上バス停近くに風俗店があったのを覚えています。 当時は、本番はなしでHをしているフリだったと思います。 前払い制で10000円だったと思います。 店の名前については忘れてしまいましたが今もやっているのでしょうか?
こんにちは。 ダイエーがあった当時公衆電話の横に両替機があつたのを覚えています。 今は、閉店してしまいましたがまた新しい店がオープンしましたね。 今も懐かしいと思います。
そういえば、厚生会館そのものが登録されていないので僭越ながら私が投稿させて頂きます。長岡っ子であるならば、だれもが何かしら思い出のある施設ではないでしょうか。
コンビニエンスや携帯電話の無かった学生時代(S48年頃)、通学帰りの時や町に遊びに行った時に友人宅へ待ち合わせ場所等の連絡で利用したのがここの公衆電話でした。当時はデパートや店舗内に公衆電話機が幾つか備えられていましたが電話ボックスは少なかったかと思います。人出が多く賑やかだったこの頃は利用者が多く、雪降る日は順番待ちで並ぶ事もありました。
厚生会館は多くの人々が思い出を持って過ごして来た所。スポーツ・演劇・歌謡ショー・菊花展・展覧会・プロレスと・・・といろいろのことに使われて来た。もうこの丸い屋根の建物がなくなってしまって、なんだか悲しいなと感ずる思いもあるこの頃だ・・・・・。
私が小学校にあがる前だったような曖昧な記憶ですが、脚の不自由な方( ?)が物乞い(のような行為?)をされていたのが記憶に残って居ります。 また、同じ頃にレギュラーサイズの瓶入りコーラやファンタのガラス瓶をガスバーナーで加熱して伸ばして捻ったり曲げたりした一輪挿し(イチリンザシ)を売っていて、加工する光景を夢中になって見ていた記憶も懐かしいです。 私と同年代以上の方なら、御記憶に残っている方も居られるのではないでしょうか?
あの噴水⛲️のキラメキ✨を思い出すと、賑やかだった駅周辺の様子が目に浮かびます。
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅前にあった長崎屋の期間限定で、米軍払い下げの店が出店してました。 小学生の小遣いで買える、ピーナッツバターの缶詰や使い終わった弾丸の薬きょうなんかを買っていた友達もいました。
悠久山にローラースケート場があった。栃鉄の駅の近くだったと思うが・・・。50年も前のことだ。栃鉄で何度も通った。スタッフの人は片腕がなく、金属の棒の先を丸めたものを付けていた。健常者と同様の動きをしていた。戦争で負傷したのか。当時はまだ街頭に傷痍軍人が立っていた時代だった。スケートは本当に楽しかった。
もう半世紀も昔の事ですが、「たるまんゆき」と呼ばれた頭のおかしなおばさんが川西地区を中心に徘徊していました。とくにお祭りなど人が大勢集まるところによく顔を出していました。おつむは弱いけど憎めない人だったようです。パッチをくれてやって子供達の歓心を買おうとしていました。(私ももらったことがあります)しばらく見ないなと思っていたら亡くなったという噂を聞き、子供ながらに悲しくなったのを覚えています。
昭和の頃、実家は旧市内でも田舎で店舗も近くになく不便な場所で、たぶん毎週くらい夕方になると移動式スーパーみたいなのが売りに来ていました。大音量で音楽を鳴らして存在を示していました。記憶に残っているのは「演歌チャンチャカチャン」と漁業系の民謡で、売り終わるまでエンドレスでならしていました。昭和50年代前半くらいかなぁ?自家用車の普及でか、何かの規制で来なくなったのかな?当時うちの親は割高だからあまり買わないって言ってたっけ(笑)
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
長崎屋の中にあったレコード店です。 当時の音楽CDの販売における付加価値として主流だった、 「一枚買うとスタンプ1個、10個たまると500円割引」 というサービスに対抗してか、この店では、スタンプカードが無いかわりに、いきなり50円引きというスタイルでの販売でした。 当時の同級生であり、脱がせ麻雀のツワモノだったA君によると、 「ここでCD買って、ういた50円で、上の階のゲーセンで麻雀やる」 というのが、長崎屋の正しい利用方法だそうで・・・
どちらかというと90年代初頭の思い出なんだけど・・・ 100円なのに、普通の店の3倍近くトグロをまいてるソフトクリームが食べれるお店。 たしか向かいに「たんぽぽ」という店があり、そことソフトクリームの大きさによる、激しい集客合戦を繰り広げていました。 原価度外視で集客合戦を繰り広げる様は、まさにデフレスパイラルの先駆け(?) けど、焼きソバなどの、他のメニューのボリュームの差と、おばちゃんのキャラクターで、ピーコックファンの方が多かったような気がします。
まだ、パソコンが一般的ではない頃、何やら畏敬の念をもって眺めていたのを記憶しております。 どう考えてもファミコンのゲームのほうがクオリティが高いのに、それでもMSXでゲームしているヤツは、妙に尊敬されてた。
コメント一覧 (11)
私は見たことないですが母が話しておりました。
私も小学生の頃何回か見ました。子供心にとても切なかったのですが、親曰く、 「本物の軍人さんはあんなことはしない。また、やってもいけないんだ。軍人恩給が出ているはずだから」と。 2年前に他界した義父は元予科練甲飛13期(既に乗る飛行機がなく戦場にはいっていません)の軍人でしたが、プライドは高い人でした。 今思えば、あの傷痍軍人は本物か否か、聞いてみたかったのですが、多分「偽物だ」と言ったと思います。 でも本物だったらごめんなさい。
上の方とほぼ同じ年です。 長岡ではとんと見た記憶がないのですが、大学生になって上京した時に渋谷の駅前で正にそのものを見たことがあります。 ゴザのようなものの上に白装束の姿。何やら箱のようなものを置き、それに手を添えた形で微動だにしませんでした。悲しげだけどバカでかい音量のアコーディオンの流れる中、殆ど見向きもされずにいるその人たしの姿を見て、やっぱ東京ってすごいなぁと思ったものです。
私もその年代です 子供の頃悠久山にお花見に行くと参道に必ずいました 白装束で松葉づえを横に置いて、 異様な風景を覚えています、 のちに 偽物でみんないい暮らしをしているらしい と聞ききました、
30年以上前の話ですが、 大手通りの旧ホクギン前で、片足の無い傷夷軍人 (らしき人)が、軍服姿でアコーディオンを 弾いていたのを覚えています。 本物の傷夷軍人かどうかはわかりませんが…
おーっと、私の記憶も北銀前ですね。
私も、よく見ました。長岡駅脇の大手通りから裏に抜けるガードの中で、アコーディオンを弾いていましたね
NHKの朝ドラ、エールのモデルだった古関裕而さんは、傷痍軍人に遭遇するたびお金を渡していたそうです。 たくさんの軍歌を作曲した懺悔からだろうと倅さんが語っていました。 古関さんがプロ野球殿堂入りされ、ふと思い出しました。
高校を卒業後、長岡を離れて暮らしてるので「北銀」の場所が解らないのですが、、、 厚生会館の敷地の1軒手前のお店(?)の店頭(?)で良く見掛けた記憶があります。 あの類いのパフォーマーが居ない時は、七輪でコークスを燃やして「レギュラーサイズのコーラ瓶やスプライトの瓶」等を伸ばして捻り曲げたりした物を実演販売する露天商みたいなのが居た記憶があります。 「前出のパフォーマー」も「後出の実演販売露天商」も、893屋さんが【仕切り】をしてたんじゃないでしょうかね? ジュースの空瓶を返却してもらう為の保証金なのに、僅か5円や10円の保証金で勝手に空き瓶を加工して転売されちゃ堪らないでしょうねw
昭和40年代前半ぐらいに一度だけ見たことがあります。松葉杖を横に置いて地面に座って両手をついていたので、同じ方ですかね。父曰く「戦争ではなく交通事故ではないか」というようなことを言っていて、子供心にそういうものかと思っていたのですが、今思うと戦後20年以上経ってるのにあれを生業にしているのはやはり不自然だなあ、と思います。本物だったらごめんなさいですが。
60年以上前になりますが、長岡駅前から裏に抜けるガードがあり、そこに白衣の傷痍軍人さんがいました。アコーディオンの音色と共に強烈な印象でした。ガードがなくなり、何かホッとしたことを思い出します。