この場所の思い出
日が暮れるまで空き地で遊んだ帰り道 道しるべは電波塔と水道タンクでした 遅くなると親に叱られて、泥だらけの手足を家の前の井戸で洗っていたなー
日が暮れるまで空き地で遊んだ帰り道 道しるべは電波塔と水道タンクでした 遅くなると親に叱られて、泥だらけの手足を家の前の井戸で洗っていたなー
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町々に子供がいっぱいだった頃。どこの町にもみんなが集まって遊ぶ場所が自然にできていた。女の子はパンツ丸出しでゴム跳び、男子はチャンバラと・・・・
水が新しくなると冷たくて入れない位に 汚れると苔が生える程汚くなるプールだったような 悠久山プールに行けない時はここで遊んでました
今朝白にあった(今でも建物があり、紳士服屋?)ボーリング場! グランドボールだったかセントラルボールだったか。。あの近くに住んでいたことがあって、よく遊びました。1Fの駐車場でラジコンやったり、冬は非常階段から雪にむかって飛び降りたり。ボーリングはあまりやりませんでしたが、レストランに父親に連れてもらったなー。。ムービー。ムービーはその後移転したけど(川崎小近く)。。ビリヤードもあったよなー。。
悠久山スキー場ってもう無いのね。(当然か) 昔はよく滑りに行ったなぁ 寮から裏山づたいに歩いて・・・
物心付いた子供の頃 近所の校庭で竹ひごとヒューム管の紙ヒコーキが大空を舞っていました いつか上手に作りたい・・・何回作っても失敗続きでしたが、あっという間にブームは去ってしまい、次はレーシングカーと怪獣プラモに夢中でした 男心と秋の空?
昭和30年代頃まで、大きな踏切の横に小さな小屋があって、おじさんが常駐していました。汽車が来ると、おじさんがハンドルを回します。すると上から棒やロープが下りてきて汽車が通過する間、人や車の通行を止めていました。 小さな子供達にとって、踏切り番のおじさんは憧れの職業でした。いつのまにか踏切り番のおじさんがいなくなり信号に変わってしまいました。祖母に連れられ近所の子供たちと一緒に汽車を見に袋町の踏切に行ったことが思い出されます。汽車に手を振ることが当時の子供の楽しい遊びでした。
長岡出身者なら誰もが「懐かしい」フレンド! なかでもマルセンの地下の店は、数あるフレンド店舗のなかでもスタンダードでしょう。 県外の人に、イタリアンの話しをして、 「焼きそばにミートソース!?なんじゃそりゃ?」 とひかれてしまった経験、あるんじゃないですか?
ご存知、長岡の偉人の一人「山本五十六」の銅像があります。 「山本五十六元帥」は、逆境をバネに海軍大将まで上りつめた人。また、戦時中の日本にあって先見の明を持った人物で、日本の軍事力の限界を予見しながらも、祖国のために軍人に身を処していた、なんだかカッコよい、長岡が誇る歴史上人物ではあるのですが・・・ この公園は、薄暗い中に銅像がドドーンとそびえていて、ハッキリ言ってかなり不気味でした。 子供の頃、大手通での買い物の帰りに、この公園に迷い込んだときは、マジで泣きそうになりました。 今は、記念館ができたことですし、あの頃よりはオープンな雰囲気になっているのでしょうか? 今度行ってみよ。
駅ビル、セゾン(ちなみに今のココロです。)の1階にあったおもちゃ屋さん。 スイッチを押すとビリビリするライターや、パッチンガムなど、普通のおもちゃ屋では売っていないような、ちょっと「(健全な)大人のおもちゃ」がいろいろと売ってました。 そういえば、マスカラスなどの覆面レスラーのマスクなんかも、かなり質の良いものが売ってました。 でも、なんて名前だったのか思い出せません。 誰か知ってたら教えてください。
「男子は、入っちゃダメ!」 という店。 何が売っていたのかは、今もって謎。
階段を上がると、電車の模型のジオラマがガシャガシャと走り、レジの奥には「ディスクシステム」の書き換え機が・・・ 懐かしい、長岡のチビッコの夢の世界でした・・・
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